古書&アート作品

前田静秋
『のくちゆるぬ』

1959、プレス・ビブリオマーヌ、宮下登喜雄銅版画5葉、両者署名、総皮装、函(背少焼け)、限定200部内家蔵別装本5部
4万5千円

NOCTURNE—an einer frau—   繊月 クリスマスの夜更 ヒマラヤ杉 の影絵に 北方の空がいやにあかるい ――粉雪(ゆき)のふりやんだ 下界   そのとき おまえは 白衣をまとって 愁うるとなく 薄青い眸をあげ どこ かしらない 夜の彼方をうかがうのだ   ピエロオの踊りはやまず 消えがてに うたごえつづき そして わたしたち はなにをかたつたのだろう・・・   いつか年老いている 銀の髪 さらさ らと風に鳴り いろいろなふしあわせ と みえない夢のはなばな ものがた ることは もの倦いこと »続きを読む

ジョルジョ・アガンベン
『瀆神』

2005、月曜社、初、カバー、帯、上村忠男・堤康徳訳、139P
1,500円

「・・・あらゆる権力の装置はつねに両義的である。それは、一方では、主体化の個人的ふるまいから生じ、他方では、分離された領域へのその捕獲から生じる。個人的なふるまいは、それ自体では、しばしば、非難されるべきものをなんらもっておらず、それどころか、解放的な意図を表現しうる。非難されるべきは、もしかすると―状況や力に強制されたのでない場合には―装置に捕獲されてしまったことだけかもしれない。ポルノスターの破廉恥な身振りも、ファッションモデルの無感動な顔も、そのようなものとしては、とがめられるべきものではない。逆に、恥ずべきは―政治的かつ倫理的にダッシュそれらをそれらの可能な使用から »続きを読む

安斎重男
『オマージュ: イサム・ノグチ』

1992年、19cm x 29cm、サイン有り
00円 (在庫なし)

イサム・ノグチさんのこと Isamu Noguchi 「私がイサムさんと初めて会ったのは、73年の日本橋にあった南画廊での個展の時でした。そのあと、あちこちで少しずつ会いましたが、85年、ニューヨークに滞在中『アート・フォーラム』という雑誌から、ロング・アイランドに出来て間もないイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムのフォト・エッセイを頼まれたんです。 早速イサムさんに電話でOKをもらい、機材を運び込んだわけです。このミュージアムは、どう並べたら作品のコンセプトがよく見えるか、イサムさん自身の手で、永い時間をかけて陳列されたと »続きを読む

『ロセッティ詩抄』

1958、大雅洞、マーブル総革装、函、蒲原有明訳、九十部の内刊行者本・非売品10部、宮下登喜雄銅版画二葉、71P
00円 (在庫なし)

序のソネット ソネットは一刹那の銘文・・・「魂」の永遠から 滅しても滅しえぬ末期に亘る記録として、見よ、 そのあるべきやうは、祝祭にも、はた凶會日にも、 ふさわしく、つつましやかに、たじろがぬ熱意に 充ちたおぼえ書き。晝と夜との現実の差別をみせて、 象牙にあるは黒檀に彫り刻み、東邦の匂に潤む 真珠もてその歌の髻華をちりばめ、最高の 精妙な技の不朽さを「時」に示してあれ。   ソネットは一個の泉貨、その表には心霊を象り、 うち返しにはそれぞれの「権能」に属する刻印がある。 「生命」の止むに止まれぬ願望には貢物として、また 「戀」の派手な行列には引出物として奉仕する。 »続きを読む

浅田彰
『構造と力』

1983、勁草書房、初、カバー(少経年シミ)、帯、四六版、240P
00円 (在庫なし)

構造主義/ポスト構造主義の思想をひとつの一貫したパースペクティヴのもとに論理的に再構成し、浅田彰現象とニューアカデミズム・ブームを巻き起こした書。 「・・・大学についてのふたつのイメージの対比から明確なパターンを抽出するために、文・理学部中心―法・医学部中心という対比に、即時充足的―手段的、虚学的―実学的、≪象牙の塔≫的―≪現実主義≫的といった一連の対比を重ねてみる。すると、それらは不協和音を発しつつも、ひとつの構図へと収斂していくだろう。その上で、大勢が前者から後者へ移ってきたというストーリーが語られ、最後に、あなたは二者択一の前に立たされる。両者のうちどちらを択び取るの »続きを読む