古書&アート作品

笠井叡
『Akira Kasai’s Androgyny Dance』

蘭架社、昭和42年、未綴装17枚、限定200部、序文:瀧口修造、撮影:坂本真典他、稲垣足穂宛献呈署名
00円 (在庫なし)

「先日さる舞踏の会が終ったあと、神楽坂の酒場で打ち上げをやっていた時、適当にみな酔い始めた頃、話がいつしかイナガキ・タルホのことに及んだ。近頃めっきり白髪が光り始めた種村季弘氏に、「いったいタルホの“無底”の観念はどこから来たものか。」ときかれて、私は曖昧に「それは謡曲的な日本の夕暮れの空…」などと答えていると、氏は「フン!」とひと息いれて、「あれは関西人の持つ独特の宗教観じゃないのかなア。」と述べられたのであった。…イナガキ・タルホは一秒前の過去に三十年前の、否三千年、三万年…前の郷愁を語らせているのである。人間における数千年の歴史の夢は、物質においては瞬間の夢に過ぎない »続きを読む

前田静秋
『のくちゆるぬ』

1959、プレス・ビブリオマーヌ、宮下登喜雄銅版画5葉、両者署名、総皮装、函(背少焼け)、限定200部内家蔵別装本5部
4万5千円

NOCTURNE—an einer frau—   繊月 クリスマスの夜更 ヒマラヤ杉 の影絵に 北方の空がいやにあかるい ――粉雪(ゆき)のふりやんだ 下界   そのとき おまえは 白衣をまとって 愁うるとなく 薄青い眸をあげ どこ かしらない 夜の彼方をうかがうのだ   ピエロオの踊りはやまず 消えがてに うたごえつづき そして わたしたち はなにをかたつたのだろう・・・   いつか年老いている 銀の髪 さらさ らと風に鳴り いろいろなふしあわせ と みえない夢のはなばな ものがた ることは もの倦いこと »続きを読む

ジョルジョ・アガンベン
『瀆神』

2005、月曜社、初、カバー、帯、上村忠男・堤康徳訳、139P
1,500円

「・・・あらゆる権力の装置はつねに両義的である。それは、一方では、主体化の個人的ふるまいから生じ、他方では、分離された領域へのその捕獲から生じる。個人的なふるまいは、それ自体では、しばしば、非難されるべきものをなんらもっておらず、それどころか、解放的な意図を表現しうる。非難されるべきは、もしかすると―状況や力に強制されたのでない場合には―装置に捕獲されてしまったことだけかもしれない。ポルノスターの破廉恥な身振りも、ファッションモデルの無感動な顔も、そのようなものとしては、とがめられるべきものではない。逆に、恥ずべきは―政治的かつ倫理的にダッシュそれらをそれらの可能な使用から »続きを読む

時里二郎
『胚種譚』

1983、湯川書房、総皮装、函、時里・北川両者署名、30部、北川健次銅版画一葉(サイン有り、12.5 cmx7.5 cm)、112P
5万円

肖像 Ⅰ ――北川健次氏のために イシミカワの実のこぼれる黄金のせつなに鱗翅類の繭が割られ 少年は掬われた水のように生誕する 透かされた静脈の内部で 非在のアオサギが目覚める時 さらされた少年の上腕は蒼穹を孕む 魚たちを漁る裸樹のように少年の掌はひとしきり水の翳りの重さに 揺らぎ ひれやうろこのない魚たちの夢をすべらせる 細長い 螺施を下るオルガンの風に促されて 少年の指は羽繕う嘴のように 胸を擦過する 非在のアオサギの棲む少年の肖像に一本の 見えない腐刻画の線が引かれる

安斎重男
『オマージュ: イサム・ノグチ』

1992年、19cm x 29cm、サイン有り
00円 (在庫なし)

イサム・ノグチさんのこと Isamu Noguchi 「私がイサムさんと初めて会ったのは、73年の日本橋にあった南画廊での個展の時でした。そのあと、あちこちで少しずつ会いましたが、85年、ニューヨークに滞在中『アート・フォーラム』という雑誌から、ロング・アイランドに出来て間もないイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムのフォト・エッセイを頼まれたんです。 早速イサムさんに電話でOKをもらい、機材を運び込んだわけです。このミュージアムは、どう並べたら作品のコンセプトがよく見えるか、イサムさん自身の手で、永い時間をかけて陳列されたと »続きを読む