古書&アート作品

東浩紀
『存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』

1998年、カバー、帯、初、四六版、338P
1,000円

「・・・この本は“何故デリダは奇妙なテクストを書いたのか”という問いに貫かれているが、実はそれは、“何故僕はその奇妙なテクストに惹かれるのか”という問い、つまりデリダをかくも抽象的な思弁へと、いわゆる≪哲学≫へと駆り立てているものは何なのかという問いでもある。ひとは何故哲学をするのか。僕は途中から半ば本気で、その大きな問題について考え始めていた。・・・結局のところ、それがこのデリダ論の躓きの原因である。・・・」  

安部公房
『裁かれる記録:映画芸術論』

1958、講談社、初、新書版、240P、装丁・カット:安部真知
00円 (在庫なし)

安部公房による映画批評。目次:裁かれる記録係、砂漠の思想、全面否定の精神、など。 「これは一年間に上映された映画の、いわば記録のようなものである。しかし、個々の作品評はさして問題ではない。あくまでも具体的なものからはじめて、映画一般というよりも、映画芸術と言語芸術の境界線をさぐり、両者の相違点と共通点を考えながら、むしろ芸術そのものを新しくとらえなおそうというところに、そのねらいがあったわけだ。だが、記録はつねに、記録自身によって裁かれる。裁いたつもりでいて、裁かれたのは実は私自身であったかもしれない。」(≪あとがき≫より)

ハンナ・アレント
『人間の条件』

1972、中央公論社、初、カバー(少痛み)、帯、志水速雄訳
00円 (在庫なし)

「これからわたしがやろうとしているのは、私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討することである。これは明らかに思考が引き受ける仕事である。ところが、思考欠如こそ、私たちの時代の明白な特徴の一つのように思われる。そこで私が企てているのは大変単純なことである。それは私たちが行なっていることを考えること以上のものではない。人間の条件の最も基本的な要素を明確にすること、すなわち、伝統的にも今日の意見によってもすべての人間存在の範囲内にあるいくつかの活動力だけを扱う。このため、人間がもっている最高の、考えるという活動力は本書では扱わず、理論上の問題とし »続きを読む

青柳恵介
『風の男 白州次郎』

1990年、カバー(少汚れ)、初、私家版、菊版 
5,000円

“昭和史の隠された巨人”の人物像を、夫人である白州正子ら多数の知人の証言でたどる(新潮社版帯文より) 「・・・白州次郎の口から時にnoblesse obligeという言葉が発せられるのを聞いたと証言する人はobligeなどと言いながら、一種の使命感をもった素振りをされたら、何とも気障で歯が浮くような印象を与えるだろう。しかし、白州次郎の生涯を眺めわたしたとき、彼が身をもって実行し、己を律し、さらには高い立場にいる人間を容赦なく叱りつける際の言葉として浮かんでくるのは、不思議なことにさらりと気障な衣装を脱ぎ捨てた、このnoblesse obligeという言葉である。おそらく彼 »続きを読む

安藤忠雄
『建築を語る』

東京大学出版会、初、カバー、帯、菊判、260P
2,000円

建築の分野のみならず、若者が自分なりの生き方を発見するきっかけにとなることを願い行われた大学での講義をもとにした、建築家安藤忠雄/安藤建築を知るための最良書。 「私にとって、建築とは相反する概念の止揚、その微妙な狭間で成立するものであり、それは内と外、西洋と東洋、部分と全体、歴史と現在、芸術と現実、過去と未来、抽象と具象、単純性と複雑性といったまさに両極にあるものを同時に自らの表現する意思を介在させた一つの表現へと昇華させることです。そこに自らの意思をもって一つの「建築のあり方」を見出すことが、私にとっての建築という行為です。」