古書&アート作品

青柳恵介
『風の男 白州次郎』

1990年、カバー(少汚れ)、初、私家版、菊版 
5,000円

“昭和史の隠された巨人”の人物像を、夫人である白州正子ら多数の知人の証言でたどる(新潮社版帯文より) 「・・・白州次郎の口から時にnoblesse obligeという言葉が発せられるのを聞いたと証言する人はobligeなどと言いながら、一種の使命感をもった素振りをされたら、何とも気障で歯が浮くような印象を与えるだろう。しかし、白州次郎の生涯を眺めわたしたとき、彼が身をもって実行し、己を律し、さらには高い立場にいる人間を容赦なく叱りつける際の言葉として浮かんでくるのは、不思議なことにさらりと気障な衣装を脱ぎ捨てた、このnoblesse obligeという言葉である。おそらく彼 »続きを読む

『記憶としての建築空間:イサム・ノグチ/谷口吉郎/慶應義塾』

慶應義塾大学アートセンター編、2005、227P
1,000円

萬來舎/ノグチ・ルームの存続の問題が浮上の折、改めてそのユニークな建築空間の意義を考え、記憶としての建築の側面を論じたもの。 「・・・本来、多様な年齢・関心の人々が集い、しかも外部の人も自由に出入りできるはずの≪大学≫という空間。しかし、実態は、様々な制度的なハビトゥスに雁字搦めに拘束され、学生たちが自由に集い語らう場すら十分に与えられていない、没コミュニケーティヴな空間(もちろん、学生たちにも責任の一端はある)。≪萬來喫茶イサム≫は、そうした大学の制度的網目の透き間を、コミュニケーティブな熱気で押し広げ、大学が通常抑圧している文化的潜勢力を再活性化しようとする≪セルフ・オ »続きを読む

市川浩
『中間者の哲学:メタ・フィジックを超えて』

1990、岩波書店、初、カバー、(経年少シミ)、帯、四六版、300P
1,500円

他者を排除しない、・・異次元の思考は可能か。 「≪中間者の哲学≫は、あくまでも断片としての中間者を基盤において、中間者を超える領域をさぐり、ふたたび中間者にかえることである。その全過程が中間者の行為あり、思索であり、中間者を定義するものでもある。・・・中間者は、全体でなく、欠如であるからこそ全体化を指向し、部分としては過剰であるからこそ全体化を指向する。インテンション(指向=意志)は≪断片≫である中間者の特徴である。・・・トランス・フィジックは、人間という中間者(パスカルのいう≪考える葦≫)を基本にすえた哲学であるが、ヒューマニズムではない。ヒューマニズムが人間中心主義とい »続きを読む

イ・ヨンスク
『国語という思想:近代日本の言語認識』

1996、岩波書店、初、カバー、帯、本体に僅かな時代染みあり、四六版、360P
2,000円

概念としての≪国語≫は、いつ、どのように形成されたのか。国家としての同一性を支える不可欠の役割を担い創出された≪国語≫について論じた言語思想史。 「ある社会集団が同一言語の共有を認識し、そこに大きな価値を見いだすということは、いったい、いつでも、どの場所にでも生ずる疑うことのできない自明の事実だろうか。(ベネディクト)アンダーソンは、≪ネーション≫とは、眼に見える制度ではなく、「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体」だという。けれども、言語そのものの同一性も言語共同体の同一性も、≪ネーション≫の同一性に劣らず想像の産物なのである。・・・≪ネーション≫という政治共同体と »続きを読む

井筒俊彦
『イスラーム文化:その根底にあるもの』

1981、石坂記念財団(岩波書店発行)非売品、初、カバー(背少日焼け)、四六版、222P
2,000円

イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているもの、その根底にあるものについて論じた、イスラームを考える上での必読書。のちに岩波書店から単行本、文庫化された。 「・・・われわれ日本人は、いままでイスラームについてあまりにも無関心でありすぎたと思います。いわゆる世界の地球社会化が急速に進展しつつある現在、東洋と西洋の中間に位置して、重要な世界史的役割を果たしてきた、そしていまも果たしつつある、中近東の一大文化、イスラームを、われわれ日本人も、日本人の立場から、日本人の独特の見方で積極的に理解するように努めなければならないと思います。」