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仁木悦子 『猫は知っていた』 1957年、講談社、初、函、帯


38,000円

「・・・兄は、いつになくまゆを寄せて、両手で頭をかかえ込んでしまった。私は考え考え言った。
“ねえ、にいさん、犯人が一刻も早くその場を去ろうとあせった気持ちはわかったけど、結果から言うと、家永看護婦の死を見とどけないで逃げたというのは、非常に危険なことだったんじゃない?”
“というと?”
“家永さんは死ぬ時、ネコ、ネコ、と言ったでしょう。もしあの時、ネコと言う代わりに、ただひとことでも犯人の名を言っていたら、事件はたちまち解決してしまったわけじゃない。”
“そうなんだ。僕を何よりも悩ませるものは、彼女のあのことばなんだ。警察では、この最後のことばを、断末魔のうわごとのように考えて重きを置いていないらしい。じっさい、空をつかむような話だし、警察には、もっと論理的な捜査方法があるのだろうからね。だが、僕はあのことばを、うわごとと片づけてしまう気にはなれないんだ。彼女は最後の瞬間まで犯人をかばうつもりだったんだろうか?それとも・・”
“彼女は、ほんとうに、ネコに殺されたのであろうか?”・・・」

「『猫は知っていた』は、いわゆる本格探偵小説であって、謎のデータを一つ一つ提出し、これを論理的に解いて行く型の作品である。応募規定は『本格と変格とを問わず』となっているので、もしほかに犯罪心理小説、犯罪社会小説のようなものがあれば、この作は当選しなかったかもしれないのだが、そういうものもなく、また謎と論理の作品はこれに及ぶものがなかったのである。

英米にはすぐれた女性探偵作家が多いのに反し、日本には僅かに一,二の女流のかぞえるのみで、それらの作家も論理性に富むいわゆる本格探偵小説は、ほとんど書いていないのである。仁木さんは、その従来全くなかったものを提げて現れた。大きなトリックには必ずしも創意なはいけれども、こまかいトリックや小道具の扱い方に、女性らしい繊細な注意が行きとどいていて、その点ではアガサ・クリスティを思わせるほどのものがある。文章も平易暢達で、病院内部の描写は、選者たちを驚かせたほどにも的確であった。」

(江戸川乱歩による「選考経過報告」より)