人文科学

クロード・レヴィ=ストロース
『構造・神話・労働』

1979、みすず書房、初、カバー、四六版、188P、大橋保夫編、三好郁朗・松本カヨ子・大橋寿美子訳
00円 (在庫なし)

1977年国際交流基金の招きで来日した折の講演や対談の記録を集め構成した書。『民族学者の責任』、『構造主義再考』、『神話とは何か』、『労働の表象』、『未開と文明』、『民族学者のみた日本』。 「自己のアイデンティティーを自覚した諸民族が、欧米人の行為によって起こった障害と、数十年もしくは数百年にわたって蒙った苦難の克服を急ぐのあまり、われわれ民族学者とその出身国とを一まとめにして拒否するとしても、それは当然であり、健全な態度です。しかし、私たちにとっては、慰めとなる認識いや確信があります。10年後、20年後、1世紀もしくは2、3世紀あとのことかもしれませんが、これらの社会の人 »続きを読む

E.O. ライシャワー
『日本近代の新しい見方』

1965、講談社、初、帯、新書版、219P
1,000円

歴史学者であり駐日アメリカ大使としてのライシャワーによる日本近代化論。 「・・・特殊な地位にある日本が持っている過去百年間の歴史は、特別の興味に価します。高度に近代化したただ一つの非西洋国家が、日本であることを考えると、その近代化の歴史は、現在近代化を図っているほかの非西洋諸国にとって、とくに意義あるもののように思われます。 日本は、西洋的な文化の伝統を持っていなかった点で、非西洋諸国のほうに似ていますし、また近代化が急激に行なわれ、しかも、自然に進化していく過程によらず、むしろ模倣によって近代化した点でも、非西洋諸国に似ています。さらに日本は、人口のわりあいには天然資源に »続きを読む

ミッシェル・ラゴン
『抽象芸術の冒険』

1957、紀伊国屋書店、初、帯(背少焼け、少痛み)、262P、吉川逸治・高階秀爾訳
2,000円

「・・・われわれが芸術家には、すべてこのような普通の映像の技術家たちが、われわれにふんだんに与えてくれるありふれた映像以外のものを、求めたとしてもべつに驚くにはあたらない。われわれは画家に対して、むずかしい注文をつけている。つまり、われわれはもう、画家が自然をも一度映像化することも、自然を変形(デフォルメ)することも、自然を翻案することも認めないのだ。画家が、新しい形を想像することを強要するのだ。太陽を、鋸歯紋をめぐらした車輪で表わすあの原始人と相通ずるほど、力強い抽象能力を備えている画家だけが、われわれを満足させるのだ。新しい記号(シーニュ)を創りだして、それに意味を付与 »続きを読む

アントニン・レーモンド
『私と日本建築』

1967、鹿島出版会、初、函(背少焼け)、四六版、243P、三沢浩訳
00円 (在庫なし)

レーモンドによる日本建築に関する講演や論文をまとめたもの。 「・・・日本以外のどこの文明が、美しくすることは、すなわち、不要なものを捨てさることであると、示したであろうか。単純化と、無駄を捨てさることと、昇華させることこそ、趣味の人のいう優雅といえる。宗匠の家と、労働者の家の違いは、前者が単に、構造や平面の明瞭さを充分に考えたところにある。すべては、直接の必要に応じた結果であり、材料であり、あるいはその精神でもある。無は常に、明瞭であり、また純粋なものである。不要なものを除き、物の形、本質および空間の声を聞くことができるのである。西欧の建築をそれにくらべると、驚くべき粗末さ »続きを読む

『写真:いま、ここに』

1969、美術出版社、カバー(背少焼け)、初、A5版、211P

5,000円

写真に関する小辞典。 「写真のリアルな再現的描写は、新たな物体感の獲得を促した。また、不変不動で持続的な写真の凝視は、さまざまに流動する意識を裏側にもった肉眼ではとうてい得られない見え方を提示した。写真の物体感とこの凝視は、共働してわれわれに存在の不可思議を教える。こうして、ある写真家は、実体と写真の間を反射し合う何ものかの中から、存在の意味へ志向する視点を形成してゆく。その視点から生まれた写真は、なお一層くりかえしくりかえし、存在の意味を問いかけてくるのである。そして、認識の最も素朴な原点からの出直しを、要求してくるのである。」 大辻清司「写真の特性と表現」-物体・存在・ »続きを読む