その他

柄澤斎
『掌宇宙:Ⅲ玩具』

「・・・二十世紀を代表する二人の木口木版作家を挙げるならば、その一人はオランダのM・C・エッシャーであり、もう一人はアメリカのレオナード・バスキンである。エッシャーは幾何学的で不思議な世界の計量によって、バスキンは疎外された人間像への悲痛な共感によって、木口木版画の新しい両極を切り開いた。この両極とは宇宙と人間の内面への眼差しであり、虚構と実証との、版画本来の二面性にほかならない。 日本を含めた現代の木口木版によって、歴史に付け加えるべきいくばくの表現が残されているかは、これからの課題と言わなければならないが、先の二人によって示された宇宙と人間の内面、つまりは最も遠いものと »続きを読む

前田静秋
『のくちゆるぬ』

NOCTURNE—an einer frau—   繊月 クリスマスの夜更 ヒマラヤ杉 の影絵に 北方の空がいやにあかるい ――粉雪(ゆき)のふりやんだ 下界   そのとき おまえは 白衣をまとって 愁うるとなく 薄青い眸をあげ どこ かしらない 夜の彼方をうかがうのだ   ピエロオの踊りはやまず 消えがてに うたごえつづき そして わたしたち はなにをかたつたのだろう・・・   いつか年老いている 銀の髪 さらさ らと風に鳴り いろいろなふしあわせ と みえない夢のはなばな ものがた ることは もの倦いこと »続きを読む

寺山修司
『はだしの恋唄』

“はだしの恋唄”、“墜ちた天使”、“他人の空”、“泥棒の歌”、“火について”、処女作『われに五月を』刊行後の散文詩集。 恋をするのは忘れること 小鳥や 家や あなたを忘れること 忘れなければ 歌はない わたしの歌が わたしの明日よ 「・・・この本の作品たちもとうとう僕には充ちたりたものを僕に与えてはくれなかった。シュペルヴェイルみたいに<この貝殻でもなかった>と僕はそれを海へ投げすてて次の貝殻をさがしに行くだろう。 はだしで、麦藁帽子をかむって。」(「僕のノート」より)

安斎重男
『オマージュ: イサム・ノグチ』

イサム・ノグチさんのこと Isamu Noguchi 「私がイサムさんと初めて会ったのは、73年の日本橋にあった南画廊での個展の時でした。そのあと、あちこちで少しずつ会いましたが、85年、ニューヨークに滞在中『アート・フォーラム』という雑誌から、ロング・アイランドに出来て間もないイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムのフォト・エッセイを頼まれたんです。 早速イサムさんに電話でOKをもらい、機材を運び込んだわけです。このミュージアムは、どう並べたら作品のコンセプトがよく見えるか、イサムさん自身の手で、永い時間をかけて陳列されたと »続きを読む

『ロセッティ詩抄』

序のソネット ソネットは一刹那の銘文・・・「魂」の永遠から 滅しても滅しえぬ末期に亘る記録として、見よ、 そのあるべきやうは、祝祭にも、はた凶會日にも、 ふさわしく、つつましやかに、たじろがぬ熱意に 充ちたおぼえ書き。晝と夜との現実の差別をみせて、 象牙にあるは黒檀に彫り刻み、東邦の匂に潤む 真珠もてその歌の髻華をちりばめ、最高の 精妙な技の不朽さを「時」に示してあれ。   ソネットは一個の泉貨、その表には心霊を象り、 うち返しにはそれぞれの「権能」に属する刻印がある。 「生命」の止むに止まれぬ願望には貢物として、また 「戀」の派手な行列には引出物として奉仕する。 »続きを読む