小川 国夫
『黒馬に新しい日を』

小川 国夫
1927年生まれ、 2008年没。小説家。主な著書に『アポロンの島』(1957年)、『逸民』(1986年、川端康成文学賞)など。
池田満寿夫
1934年生まれ、1997年没。1956年瑛九の助言で色彩銅版画を始める。1960年東京国際版画ビエンナーレ・文部大臣賞受賞。1966年ヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門《国際大賞》受賞。1977年『エーゲ海に捧ぐ』《芥川賞》に選ばれる。

1971年 吾八ぷれす 限定30部 署名 総皮装 夫婦函、桐函(裏に署名)
池田満寿夫銅版画3葉サイン有+同内容のもの3葉(サイン無)

10万円

「俳人野呂春眠氏は毎年年賀状をくれる。昭和41年には、午年にちなんだ自作の句を書いてくれた。今それをそのまま思い出せなくて残念だが、最近見なくなったものの一つに馬がある、という意味の句であった。
自動車がふえたから馬は姿を消した。平凡な例だが、幼稚園児のころの私は馬車に乗ったが、現在はバスに乗っている。しかし、野呂氏もそうだと思うが、私からも、馬の面影は消えていない。・・・この不在感を、なにかの形
で埋めようとする心の動きが、私の身内に湧いて来る。・・・私が個人的に感じている馬の不在感を埋めるために、小説の中に、普通のやり方で馬を描き出そうとした。そして、一方では、その馬を可愛がっている少年と、彼の苦しい立場を描こうとした。<僕の家族はどうしてこう地獄のような場所をグルグル巡り続けなければならないのか>と少年は思う。地獄というのは、勿論人並み以下ということだ。ここで私が着想したのは、地獄にいるような馬ということだった。地獄にいる・・・・・・。
馬は繋がれている。厩に繋がれたり、車に繋がれたりしている。要するに、人間の手で、人間に繋がれている。他に在りようがない。酷使され、なにがしろにされる。そうされながら、かつて育てられた環境をどう思っているのだろう。少年余一が現在を地獄と感じている以上、そのことは馬の現在とダブって来るであろう。というのは、この動物は、人間のエゴイズムから脱出できないまま、死ぬよりほかに道がないからだ。・・・・
・・・それでは私は、人間の地獄と馬の現実がピッタリ一致する、と考えているのだろうか。この家畜はそれほど不幸なのだろうか。馬にとって、繋がれているということは何であるのか。死とはなんであるのか。自分を不幸と考えているのであろうか。不幸も幸福もないという幸福があるのではないか。そのことが、逃げ道なのではないか。・・・私は、小説の中で、すべて断定的に書いた。しかし、断定するように私をうながしたものは、なにか解らない。なぜなら、私には不明なことばかりなのだから。当然のことながら、動物とは何か不明だし、人間についてもほとんど不明なのだ。
なにを君らは樹木とよび
渚の波、眠る子供とよびなすのか。

小川国夫『黒馬に新しい日を』「後記」より