江藤文夫
『みる雑誌 する雑誌――平凡文化の発見性と創造性』

1966、平凡出版、カバー(少痛み)、本体少経年焼け、非売品、新書版、182P

2,500円

「講談社文化」と並ぶ戦後文化の双璧である「平凡文化」を論じる。

「・・・“総合的人間”像と言うと、少々大げさな言いかたになる。だが、“する雑誌”という場合に、新しい人間像の形成ということを無視して、これを語るとはできないように思われる。・・・“する雑誌”――平凡文化の“する”――は、従来“働く人間”の中に限定されがちだった“する人間”を、もっと生活全般にひろげていった。そのために、“専門家”“技術者”という枠、現代の職業がひとりひとりの人間に課していく枠組み、を超えて、そこに“アマチュア人間”ともいうべき、自由な生活人のイメージを創出していった。
そして平凡文化は、“職業生活と余暇”との分化、をとくに唱えることはない。もちろん、当面“する雑誌”の重点は、余暇のほうにおかれているのだが、これは現代の青年たちが、総合的な視野をもつ人間に成長していくための、“必要な”過程なのだろう。・・・現代人=総合的人間とは、この二つの時間を自分のなかでたえず重ね合わせることのできる人間である。日常生活の、つまり“ふだん着”の呼吸をたもちながら、そのなかで、自分の“あるべき”姿を見、生活を“日々新た”にしていける人間。平凡文化は、これまで、そうした現代的な人間像を生み出すのに大きな役割を果たしてきた。平凡文化の未来も、やはりその一貫した道すじの上に開けていくのだろう。」

「平凡出版」関連書

企画構成:江藤文夫『喋る:平凡出版38年のあゆみ』(1983、マガジンハウス、本体少経年焼け、非売品、356P) 1,500円

見る雑誌の誕生:生活の窓を開く―<平凡百万部へ>、テレビ時代を生きる:異種交配の方法―<「週刊平凡」の誕生>、若者文化の創造:“見る”から“する”へ―<「パンチ」の世界>、ファッションの旅:パリと日本をつなぐ―<ananからelle Japonへ>、表情をもつ生活:クロワッサンの知恵―<ニューライフの構想>、情報のバラエティー:カタログのなかのハウ・トゥー―<ポパイ・ブルータス・オリーブ・ダカーポ>など。

平凡と独創―――凡人社創立のころ

【読者とともに】「平凡という言葉は、何よりも、空疎な大言壮語の時代は終った、ということを語っています。平凡とは、人間的でありたい、ということでした。その願いと主張は、いうまでもなく、戦争への嫌悪と結びついて生まれたものです。焦土の上に誕生した『平凡』は、この、何でもない、しかしこれまで否定されていた、生きることを考える雑誌でした。」

 

『岩堀喜之助を偲ぶ』(1983、平凡出版、カバー(少汚れ)本体少汚れ、非売品、315P) 1500円

平凡出版の創設に尽力した人物の一人、岩堀喜之助の追悼集。執筆者に、堤清二、井深大、本田宗一郎など。

 

「・・・岩堀さんは、私のそれまでの交友関係を大きく飛躍させ、世界をひろげてくれた。それは憂国の士であった知られざる岩堀さんの側面を語ると同時に、“尊縁”という言葉を座右の銘とし、人と人とのつながりを、なによりも大事にして生きられた天性のジャーナリスト岩堀さんの人となりである。

二十余年の交わりのなかで、私は何度か物を見る眼、考えかたについて教示をうけた。そのひとつが女性の下着論である。“中曽根さん、あんた近ごろの女の子の下着が非常にカラフルで、きれいになったことを知ってますか・・・。知ってるわけはねえよな、政治家が若い女性の下着をのぞき見したんじゃ新聞ダネもんだもの。これはね、高度経済成長によってOL連中が、うんとお金をもつようになったからなんだ。それがいちばん最初に、下着に現われたんだね―”

岩堀調ともいうべき、あの独特な語り口で、私は、平和で国が豊かであることが女性の下着に影響するという、世の中の微妙な流れと進歩について聞かされ、目を開かれた思いがある。おそらく当時にあって、どこの誰も気づくことのない着眼点であり、視点であったと思う。その独特な視点は、ただ単にユニークといっては済まされないものをもっていた。そのユニークな発想は、時代を洞察する眼であり、批評眼でもあったからだ。そして、それは政治家の私が、もっとも自分のものにしたかったものである。・・・」中曽根康弘『時代洞察の眼』より