『Akira Kasai’s Androgyny Dance』
笠井叡

蘭架社、昭和42年、未綴装17枚、限定200部、序文:瀧口修造、撮影:坂本真典他、稲垣足穂宛献呈署名

00円 (在庫なし)

「先日さる舞踏の会が終ったあと、神楽坂の酒場で打ち上げをやっていた時、適当にみな酔い始めた頃、話がいつしかイナガキ・タルホのことに及んだ。近頃めっきり白髪が光り始めた種村季弘氏に、「いったいタルホの“無底”の観念はどこから来たものか。」ときかれて、私は曖昧に「それは謡曲的な日本の夕暮れの空…」などと答えていると、氏は「フン!」とひと息いれて、「あれは関西人の持つ独特の宗教観じゃないのかなア。」と述べられたのであった。…イナガキ・タルホは一秒前の過去に三十年前の、否三千年、三万年…前の郷愁を語らせているのである。人間における数千年の歴史の夢は、物質においては瞬間の夢に過ぎない。――タルホはこの二つの時間の流れを自在に往復している飛行師であるが、しかし、そこには単に人間はすべからく物質に還るという、言ってみれば“集合的物質意識”なるものだけが、私とタルホを結び合わせている故郷とは言いきれぬものを感じるのである。タルホの青空はギリシアの青空であり、また関西の青空である。タルホが例の「カモノハシ論」や「ヴァニラとマニラ」等の中で、しきりに繰り返し論じている男性的原理と女性的原理の結合は、ギリシアの空と関西の空の結合であり、それは原理と現象の、物質の夢と人間の夢の結合の大展望なのである。

中略

最近、日本の四大逆賊の一人と言われた出口王仁三郎の伝記を非常に興味深く読んだ…出口は丹波の出であり、タルホは神戸で、同じ関西でも北と南に別かれ、出口はミロク世界を歴史の中に実現しようとし、タルホはミロク世界を肉体に封印した。…出口京太郎氏によれば、王仁三郎は早朝などの面会客に、素裸で美女たちを引き連れて合ったり、往々一物を人前でも隠さなかったそうであり、信者を前に「たまにはヴァギナの宮参りでもせい!」と豪語していたらしい。数年前、桃山の“ミロク邸”に行ったとき、何もない部屋で三十分ごとにカランコロン鳴る金色の置時計が妙に印象的であった。「無底」とは子宮のイメージだが、女体男霊のタルホは自らの肉体に、この「女体的孔」を打ち、この凹を男霊という純粋精神で充たしたアンドロギュヌスであろう。

「稲垣足穂:ギリシアと関西の青空」

笠井叡『神々の黄昏』より