「北回帰線に近づく頃から、ぼつぼつ夜光虫の燐光が、夜の海を蒸し暑くいろどりはじめると、亡者たちは角燈を灯すことを忘れ、酒にでも酔ったように、あさましく昂奮して、三々五々、甲板に踊り狂った。彼らの洞窟のような口をついて飛び出す言葉は、ことごとく生きた人間に対する呪詛であり、不当な境遇を与えた神への冒瀆であった。女たちは慄え、少年は手を打って歓声をあげた。 “人間愛などという言葉を唱えながら、戦争や殺戮を何よりも好むやつら・・・”と黒部百助が泥酔者のような大仰な身ぶりで言った。”科学実験に使われる犬やモルモットの魂まで時には心配してやるくせにして、その一方、毎日何千頭という豚や牛を食らい、害虫という勝手な名のもとに、自然界の微細な生命を大量圧殺しているやつら・・・孤児院や養老院にたんまり寄附金を置くと、さて安じて、自宅では女中や下男を手荒くこき使い、貧民の下品さ愚劣さに眉をひそめるやつら・・・”百助がよろめきながらこう怒鳴ると、大勢の水夫たちの合唱が、”それが人間だ!”と答えた。」
澁澤龍彦「マドンナの真珠」(1962 年『犬狼都市』)より