大岡昇平
『ザルツブルグの小枝』

1956、新潮社、初、カバー(少痛み)、本体経年少焼け、B6版、169P

00円 (在庫なし)

「・・・1954年4月20日現在のアメリカにいて、祖国のことを考えないのはもぐりである。11月にサンフランシスコに着いて以来、ニューヨークの新聞にのった日本の記事は、正月の宮城前の人死と、MSA条約と、雲仙のゴルフリンクスでカラスがくわえて行くという記事だけだったが、福竜丸以来連日記事が出るようになって、大分日本に詳しくなった。公海干犯で英国議会の騒ぎだって大変である。しかし米国の一般市民は、英国国民の恥辱や日本の漁夫の将来よりも、ソ連の同じような爆弾がアメリカへ落ちる可能性の方が重大な問題である。少くとも新聞記事はそっちへ関心を向けようとしている。ネールの実験中止提案に対して、何故ソ連の実験にことに触れないのか非難している。僕自身としては水素爆弾製造自身、立派な国際犯罪行為だと信じている。効果は科学者の予想以上だったそうだ。最初は4倍以上という報道だったが、後2倍と改められた。しかしこの実験自身に効果予測不能の部分が含まれていることは事実で、1945年の最初の実験以来、実際は犯罪行為だったのである。二人或いは4人の重症患者のことを考えると憤慨に堪えない。アメリカの新聞の論調は最も侮蔑的なものだ。広島と長崎は、まだ、戦時中だったが、今は平和時である。漁夫は生命を脅かされない権利を持っている。アメリカ政府の態度は明らかに人を馬鹿にしたものだ。アメリカの医者の診察を拒否した日本の医師の態度は立派である。ただしニューヘブンの酒屋のおやじの説によるとこうである。

“だって日本はアメリカと条約を結んで、一身同体になったじゃないか。水素爆弾は自由世界がソ連に対抗するために是非必要だ。少しの犠牲は我慢してくれてもいいじゃないか。”
これが吉田内閣が締結したサンフランシスコ条約の効果である。僕自身はアメリカの金で旅行している人間である。ロックフェラー・ファウンディションの人達は、申訳ないくらい親切で、僕みたいな者に、どうしてこんなに丁寧にしてくれるのか、いささか当惑するくらいだが、この点については意見をかえるわけにはいかぬ。・・・」

「アメリカ退散より」