ル・コルビュジェ
『伽藍が白かったとき』

1957、岩波書店、初、帯(背焼け、少イタミ)、本体少焼け、経年シミ、A5版、305P、生田勉訳

1,500円

前衛精神による機械時代文明に対する批判の書。
「・・・ある夏の真昼のことであった。私は、パリのあのえも言われぬ青空の下、セーヌ河の左岸をエッフェル塔に向って全速力で車を走らせていた。一瞬、私の目は青空の中の白い一点に惹きつけられた。それはシャイョ宮の新しい鐘楼であった。私は、ブレーキをかけて眺めたのであったが、突如として時の深みに引きこまれた。そうだ、中世伽藍はかつて白かったのだ。真白で眩く、そして若かったのだ。

・・・ところで今日は、そうだ!今日も同じく若くて新鮮だ。今日も同じく新しい世界の始まる時なのだ。・・・私はアメリカから帰って来たばかりであった。よろしい、アメリカを例として、時代が新しいこと、しかし家は住めたものではないことを示そう。食事の後片付けがしてないのだ。客の去った宴のあとは散らかし放題だ。固まったソース、食べ残しの骨、ブドー酒のしみ、パンのかけら、乱雑なままの汚れたナイフ、フォーク。

中世伽藍はフランスのものであり、マンハッタンはアメリカのものである。心の奥底に神の摩天楼への思いをこめてこの二十歳の新鮮な年を眺めるための、なんという良い機会であろうか。中世の樹液に溢れる心をもって、この新しい世界の場ニウヨークを眺めること、中世?今日われわれはそこにいるのだ、残骸の上に秩序だてなければならない世界、かつて古代の残骸の上に白い中世伽藍が建てられたように。

だが、現代のこの風景にむかって窓を開く前に、私たちのもがいている消耗的な空気を、読者に吸ってもらうこととしよう。アメリカについて書かれた以下のページは、物語りというよりは、力と調和の時代の希望に燃える一人の男の永遠の反応の書であろう。今日、ついに世界のページがめくられるのだ。」