E・サイデンステッカー
『サイデンステッカー』

2007年、私家版、初、カバー、91P

00円 (在庫なし)

サイデンステッカー氏逝去に際し、上野のれん会発行「月刊うえの」に掲載された短編を選び、刊行されたもの。目次「川端家のマダ」、「谷崎先生の手紙」、「小津映画」、「花子」他。

「・・・花子が東京の我が家へ同居することになったのは、まったくのところ花子の意思ではなかったかと思う。通りがかりのあるペットショップの檻の中で、何匹かの仔猫がじゃれあっていたのだが、その隅にいかにも未熟で哀れっぽい小さな猫が息も絶え絶えに横たわっていた。仲間に傷つけられて、死神の懐にあるのが見て明らかだった。それなのに、細い瞼の奥の光が、気紛れに覗きこんだ私の眼を一瞬だが確かに射た。即座に、花子と命名して、私は躊躇なくこの仔猫を買い受けた。十四年前のことである。

・・・住み慣れるほどに、育つほどに気性の激しさを露呈してきた。まず、慣れぬ人に可愛がられるのがいやである。抱かれるのがいやである。猫撫で声を出されるのがいやである。そんな態度を示されると爪を立てて応じる。つまるところ、猫らしい愛嬌がまったくない。

・・・物心ついて以来マンションの一室で育った花子は、次第に自分が猫であることさえも忘れてしまったらしい。よその猫を見ても同族意識が無いようだ。たまにほかの猫に出会っても怪訝なまなざしを送る。そんな生き物がそこにいるのが訝しいとでもいった表情をする。さまざまな行動をまとめて推察してみると、どうやら花子は自分が人間であると錯覚しているらしい。・・・』