人文科学

アントニン・レーモンド
『私と日本建築』

1967、鹿島出版会、初、函(背少焼け)、四六版、243P、三沢浩訳
1,500円

レーモンドによる日本建築に関する講演や論文をまとめたもの。 「・・・日本以外のどこの文明が、美しくすることは、すなわち、不要なものを捨てさることであると、示したであろうか。単純化と、無駄を捨てさることと、昇華させることこそ、趣味の人のいう優雅といえる。宗匠の家と、労働者の家の違いは、前者が単に、構造や平面の明瞭さを充分に考えたところにある。すべては、直接の必要に応じた結果であり、材料であり、あるいはその精神でもある。無は常に、明瞭であり、また純粋なものである。不要なものを除き、物の形、本質および空間の声を聞くことができるのである。西欧の建築をそれにくらべると、驚くべき粗末さ »続きを読む

『写真:いま、ここに』

1969、美術出版社、カバー(背少焼け)、初、A5版、211P

5,000円

写真に関する小辞典。 「写真のリアルな再現的描写は、新たな物体感の獲得を促した。また、不変不動で持続的な写真の凝視は、さまざまに流動する意識を裏側にもった肉眼ではとうてい得られない見え方を提示した。写真の物体感とこの凝視は、共働してわれわれに存在の不可思議を教える。こうして、ある写真家は、実体と写真の間を反射し合う何ものかの中から、存在の意味へ志向する視点を形成してゆく。その視点から生まれた写真は、なお一層くりかえしくりかえし、存在の意味を問いかけてくるのである。そして、認識の最も素朴な原点からの出直しを、要求してくるのである。」 大辻清司「写真の特性と表現」-物体・存在・ »続きを読む

山口昌男編著
『知の狩人』

1982年、岩波書店、函、本体経年少焼け、菊判、276P
1,000円

山口昌男による世界的知性との対談集(ウンベルト・エーコ、ジュリア・クリステーヴァら12名) 「・・・ 山口:今日的な意味での安定した宇宙。偶然性を排除して、日常生活の必然性のメカニズムの中に我々をのっけてどこかへ運び去ってしまう力と、これをつき崩そうとする予測不可能な要素の二頭立ての馬車の御者のような働きを我々はしている。 ベロ:手前味噌になるかも知れないけど、人類学の教えのよい部分はそういうところにあるね。個人の危機、文化の危機を介して混沌と直面する技術というのは精神分析や人類学が開発したものだ。ただし、個人の危機というのは精神分析医や診療室以外で扱われるべき時期にさしか »続きを読む

山口昌男編著
『二十世紀の知的冒険』

1980年、岩波書店、函、本体経年少焼け、菊判、324P
1,000円

  山口昌男による世界的知性との対談集(R・ヤコブソン、M・セルトー、オクタヴィオ・パスら12名) 「・・・ 山口:人類学と帝国主義的状況というのはよく論じられる話題ですが、人類学者がたまたま帝国主義・植民地主義の現場にいることが多かったという理由で、人類学だけを帝国主義的学問だとする問題の立て方に、私は賛成できません。むしろ、帝国主義のおこぼれにあずかって、西欧を世界を考える中心的モデルであるかの如き体系樹立を行った歴史主義、そうした歴史主義から派生したいわゆる実証主義的経験科学のほうが、西欧を絶対的な規範に仕立てたという意味でも、よりいっそう鞏固な帝国主義・植 »続きを読む

渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦
『フランス』

1983、岩波書店、初、カバー、四六版、304P、
1,000円

フランスという名で呼ばれている文化の考古学(アルケオロジー)。 「・・・蓮實さんとぼくとで、ここまで主として十九世紀の話をしてきたんだけれど、それは現代のフランスが拠って立つ地平がまさに十九世紀につくられたのではないかと考えるからであり、・・・一方、その十九世紀という時代そのものが、とりわけ歴史に関心を持ち、自らの起源を求めていった時代だった。・・・歴史というものが単に書かれる歴史ではなく、人類を突き動かしてゆく大きな動きとしてとらえられてくる。いわば大文字の≪歴史」が、十九世紀のとくに後半を支配する。ヘーゲルが人類の精神の歴史を己が哲学で集約してしまうのと同様に、マルクス »続きを読む