柄谷行人
『隠喩としての建築』

1983、講談社、初、カバー

00円 (在庫なし)

「哲学者を定義しようとしたとき、プラトンやアリストテレスが建築家を隠喩として用いたことは、建築がギリシャ語において意味したことから考えてみれば、単なる偶然ではない。古代ギリシャ語において、建築architectoniceは、architectonice techneの省略であって、architechtonのtechne(テクネー)を意味している。そして、architechtonは、始原、原理、首位を意味するarche(アルケー)と、職人を意味するtechtonとの合成語である。ギリシャ人において、建築はたんなる職人的な技術ではなく、原理的知識をもち、職人たちの上に立ち、諸技術をすべ、制作を企画し指導しうる者の技術として理解されていた。この場合、ハイデッカーが強調するように、テクネーという語は、狭義の技術だけでなく、制作(ポイエーシス)一般を意味していたのである。しかし、こうした語源学が、何かを明らかにするよりは、むしろいつも何かを隠蔽してしまうことに注意すべきだろう。ここで重要なのは、プラトンやアリストテレスが哲学者を建築家になぞられ、哲学を知の建築とみなしたこと、いいかえれば知を建築的なものたらしめようとした一つの決断にほかならないのである。・・・」