スチュアート・ヒューズ
『ふさがれた道:失意の時代のフランス社会思想 1930-1960』

1979年、みすず書房、カバー、天と地に少経年やけ、菊判、203P

1,000円

「・・・≪ふさがれた道≫というモチーフ、行き止りの小路と閉された見通し、よろめきと手詰り、ますます絶望的となる脱出口の模索というモチーフは、第一次世界大戦の勃発に続く半世紀近くを通じて、あらゆるタイプ、あらゆる知的関心のフランス人の思考に滲みわたっているのである。それは、あたかもアラン=フルニエが、幸いかれより恵まれてあの恐るべき一九一四年という年を生きのびた同時代人たちに終生つきまとった想念、漠然たる恐れのまつわりついた、出口の定かでない暗いトンネルのような世界という感じを、大戦の1年も前に予言していたかのごとくであった。

・・・一九三〇年から一九六〇年代初めにいたる時代は、絶望的な相互に抗争しあう熱情が、ごく少数の特権的な場合にのみ、きわめて重厚で普遍的な視野をもった仕事に利用されえた時代だと思われる。このような著作活動の孤は、マルク・ブロックやリシュアン・フェーヴルの新しい社会史からマルタン・デュ・ガールやマローのような多彩な作家たちの創作にいたるまで―あるいはこの時代の末に、この≪高潔な≫探求のもっとも遠い到達点ではテイヤール・ド・シャルダンの宇宙論的思弁にいたるまで―にずっと伸びひろがっている。このような事例は、この時代のフランス思想の射程とたくましさを示すものであり、それはまた実験的で断片的な性格をもしめしているものであり、かつてはそれがフランスの常であった。それに対して、一九三〇年代と一九四〇年代の労作は、自己懐疑で射抜かれているようにみえる。それがこの時代の特殊な脆さであったし、またとくにわれわれの注目を惹くゆえんなのである。袋小路の出口は完全に発見されることはできなかったし、ふさがれた道には依然としてその行く手におぼろげな光しか見えなかった。」