ミッシェル・ラゴン
『抽象芸術の冒険』

1957、紀伊国屋書店、初、帯(背少焼け、少痛み)、262P、吉川逸治・高階秀爾訳

2,000円

「・・・われわれが芸術家には、すべてこのような普通の映像の技術家たちが、われわれにふんだんに与えてくれるありふれた映像以外のものを、求めたとしてもべつに驚くにはあたらない。われわれは画家に対して、むずかしい注文をつけている。つまり、われわれはもう、画家が自然をも一度映像化することも、自然を変形(デフォルメ)することも、自然を翻案することも認めないのだ。画家が、新しい形を想像することを強要するのだ。太陽を、鋸歯紋をめぐらした車輪で表わすあの原始人と相通ずるほど、力強い抽象能力を備えている画家だけが、われわれを満足させるのだ。新しい記号(シーニュ)を創りだして、それに意味を付与することができるほど、鋭い変形(メタモルフォーゼ)の天分を持つ芸術家だけが、われわれを満足させることができるのだ。それには、画家は、民衆の想像力が示す偉大な創造の力を思い浮かべればよい。原始的神話の世界はその力によって生まれでたものだ。・・・

一般に人は形態(フォルム)と映像(イマージュ)とを混同しがちである。抽象芸術は“なにものをも描写再現していない”から、人はその前で戸惑う。けれど芸術家はいつも世間なみのことに反逆する。いtsるところに挿話的映像が充満しているような時代に、抽象芸術が開花するのはあたりまえだ。芸術家とはなによりもまず形態の創造者である。そして形態と映像とはまったく別ものなのである。・・・」