アイザィア・バーリン
『歴史の必然性』

1966、みすず書房、初、カバー(背少焼け)、帯(背少焼け)、四六版、288P、生松敬三訳

00円 (在庫なし)

18世紀以来西欧を支配した啓蒙の歴史観を検証するバーリンの歴史書。
「・・・われわれは無知、愚昧、激情によって盲目にさらされている。科学や歴史における説明という仕事は、諸現象の混沌を真実在の完全なる秩序の不完全な反映として示し、もういちどすべてをそのあるべきところにあらしめる企てである。説明とは、≪根底にある≫パターンの発見である。ここにおいて理想は、あらゆる事物や人間を自己実現へとさし招く遠い彼方の展望ではなく、自己矛盾のない、永遠・究極の≪真実在の構造≫であって、これはいわば≪無時間的≫に、混乱した感覚の世界と共存する。この混乱した感覚の世界は、永遠・究極の≪真実在の構造≫こそその混乱した感覚の世界の起源でも、原因でも、説明でも、弁明でもあるのである。この真実在と現象の世界との関係が、真の哲学のあらゆる部門―倫理学、美学、論理学、歴史哲学、法律学、政治学―の主題となる。その主題は、基礎的関係の≪側面≫に応じて選びとられ、着目される。けれども、そのさまざまな名目―形式と内容、一と多、目的と手段、主観と客観、秩序と混沌、変化と休止、完全と不完全、自然と作為、自然と精神―のなかで、中心問題が実在と現象という問題であることは変わらない。真に理解するとは、この問題を、またこの問題だけを理解することである。それは、目的論において機能とか目的とかの概念が演ずるのと同じ役割を果たす。それのみが説明し、同時に正当化するものなのである。・・・」