ダニエル・バレンボイム/エドワード・W・サイード
『音楽と社会』

2004、みすず書房、初、カバー、帯、アラ・グゼミリアン編、四六版、259P、中野真紀子訳

00円 (在庫なし)

つねに境界をまたいで移動し続ける二人が、グローバリズムと土地、アイデンティティの問題、フルトヴェングラー、ワーグナーなどを議論の材料に、自分たちの相似したところと相反したところを語りつくす。

「グゼミリアン:アット・ホーム(家にいる・くつろいでいる)と感じるのはどこだろう。あるいは、そもそもアット・ホームという感覚をもつことがあるのだろうか。それとも、自分は一生移動しつづけると感じるのだろうか。

バレンボイム:使い古され、濫用された決まり文句ではあるけれど、≪音楽ができれば、どこでもわが家≫というのは、ほんとうだ。・・・僕がどこかで自分の家にいるような気分になるとすれば、じつはそこに移行しているという感覚があるからだろう。すべては動いているのだから。音楽だって移動だろう。流動性という観念としっくりいっているときが、僕はいちばんしあわせだ。

サイード:僕のもっとも古い記憶の一つはホームシックの感情、ここではなくて、どこか別のところにいたかったという気持ちだった。・・・あちこち放浪するのが、僕はいちばん好きだ。それでもニューヨークに住むことにとても満足しているのは、ここがカメレオンのような都市だからだ。この町では、そこに所属しないまま、内部のどこでも行くことができるから、ある意味で、そこに価値を認めている。・・・アイデンディティというものはひとまとまりの流れつづける潮流であって、固定した場所や安定した対象に結びつけられるものではないという感覚。それはとても実感がある。

バレンボイム:この≪潮流≫という考えは、君が生きてきた人生のあり方に関係しているに違いないね。・・・僕らのように、たんなる仕事ではなく、生き方そのもののような(九時五時という定時労働を超えた)職業にたずさわっていれば、地理的な位置はあまり重要ではない。複数のアイデンティティをもつことは、たんに可能というだけでなく、望んでしかるべきものなのだ。複数の異なった文化に属しているという意識は、ひたすら自分を豊かにしてくれる。」