『トインビー:人と史観』

社会思想研究会編、1957年、初、函、238P

1,500円

1956年秋、国際文化会館の招聘で来日した『歴史の研究』で名高いアーノルド・トインビー氏の謦咳に接した日本の識者によるトインビー論。(執筆者に、江口朴郎、深瀬基寛、貝塚茂樹、山本新ほか)

「・・・私がトインビー博士の人柄のうちに感ずるもう一つの統一、それはストイシズム(禁欲主義)とエピキュアニズム(快楽主義)との調和である。ここで私のいうストイシズムとエピキュアニズムとは、ヘレニズム文化の二大学派であったゼノンとエピクロスの学派をいうのである。そして、ジャイロスコープとレーダーの二つの機械では、より基本的にはジャイロスコープに博士が依存していたのと同様、この二人の古代の哲人の思想と生活にくらべれば、よりエピクロスに近く、しかもゼノンの徳をかねそなえていたのではないかと考えられる。・・・私がトインビー博士に感じた快楽主義的な面とは、より広く人とまじわり、より広く旅行し、いわば人生の醍醐味をより深く味わうことに楽しみを見出す博士の態度にある。見、聞き、知ることが、何か他の目的につかえるのではなく、むしろ、そのこと自体のなかに楽しみを味わっているように見えたのである。・・・

一度、九州から神戸まで戻って、お城を見るためにわざわざ姫路まで自動車でもどったわれわれは、そこでひどい豪雨に見舞われた。しかし、博士は、別にためらう様子もなく、古ぼけたバッグの中からビニールのレインコートを取り出して、それをはおり、旅行中必らず持ち歩いていた時代がかった傘をさして、お城の見物に出かけた。しのつく雨の中に白くけぶる城郭を見上げる博士に、私はふたたび例の空漠とした沈潜の表情を見出した。あえて無礼な表現を用いれば、それは、一種、痴呆的な美しさをたたえた表情であった。そうしたときに、私は博士の魂がその肉体を離れて、ゆらゆらと天空を高く舞い上り、遠い過去の文明や人物と交流するのではないかと想像する。博士は、現在生きている文明が遠い過去に死にたえた文明と接触し、交流することがありうると主張するが、私は博士自身の人間的な能力にそうしたものがあるのではないかと考えるのだ。・・・」鶴見良行『トインビーのプロフィル』