堀田善衛
『廣場の孤独』

1952、中央公論社、重、カバー、帯(少焼け)

00円 (在庫なし)

「“Stranger in Town”・・・

・・・任意のstrangerを主人公にして《小説》を書いてみたらどうか。この任意の人物が、周囲の交叉し対立する現実に対応しつつおのれの立場を選ぶ。様々な事件や事故に接して選ばれたその立場位置が、今度は逆に、いはば対角線的に、この人物の位置を決定してゆく。つまり電波探知機が、電波を交叉させて飛行機の位置を測定するやうに、位置が決定すれば、それまで任意の飛行機であったものが、その位置にある或る特定の飛行機になるやうに、この人物は位置決定によって、任意の人物から特定の人物になる。そこまでを先づ描く。

世に任意の人物、臨時にちょっと雇ったといった人物といふものは存在しない。みな特定の人物なのだ。だから任意の人物とは、全くの虚構(フィクション)である。これは普通の、生きた人間のあり方とは逆であるが、逆算することによって未知数のX、すなはち各人を特定の各人として他から別様に成立させている、予見不能の地域をはっきりさせる。そこを照射することに力を集中する。言ひかへれば、台風を台風として成立させている。台風の中心にある眼の虚無を、外側の現実の風を描くことによってはっきりさせる―かうしておれの中心にあるらしい虚點を現実のなかにひき出してみれば、おれは生身の存在たるおれを一層正確に見極めうるのではないか。予見不能の地域、台風の眼、それは人間にあっては魂と呼ばれるものではないか。もしそれが死んでいるならば、呼びかえさねばならない。この〈小説〉の題名は、さうだ、ひとまづStranger in Townこれを意訳して、廣場の孤独、とする。」