福田恆存
『坐り心地の悪い椅子』

1957、新潮社、初、カバー、帯(テープ補修、少しわ)、四六版、269P

3,000円

「私がグランド・キャニヨンに寄ったのは単純な好奇心からであり、それで、なにを知らうといふ目的があったわけではない。が、結果として、私はアメリカ人の生きかたの一面を知ることができた。いや、知るだけなら本でもできる。私はそれを知覚したのだ。むしろ嗅ぎとったといふべきかもしれぬ。アメリカには≪アメリカのにほひ≫がある。それは比喩ではなく、たしかに實在するものなのである。あれは消毒薬のにほひであろうか。アメリカ船が自國の港にはいるまへ、かならず検疫おこなわれる。≪青酸燻蒸法≫といふものらしい。そのことをデュアメルは≪未来生活風景≫(アメリカ文明批判)のうちで揶揄してゐる。かれにいはせれば、狂氣の沙汰だといふのだ。さうであろう。私の理性はデュアメルに同意する。

が、私の嗅覚は、いまだにあの≪アメリカのにほひ≫に一種の郷愁を感じるのである。・・・このにほひはアメリカ文明の象徴である。それは開拓性、人工性、生産性を暗示してゐる。・・・自然から切りとり、自然を遠ざけ、その内部をいやがうへにも人工化したものである。その自然が荒々しいものであればあるほど、かれらはさうせざるをえなかった。周囲の空間が無際限であればあるほど、その区切りを固めなければならなかった。外部の硬さから肌を守るためには、内部を柔く居心地いいものにする必要だった。それが文明なのである。決して自然を征服するといふやうな景気のいいものではない。それは自然の眼をのがれて、その領分をかすめとり、自己を守ることである。≪アメリカのにほひ≫は、じつはこの文明のにほひである。・・・」