マックス・ホルクハイマー&テオドール・アドルノ
『啓蒙の弁証法』

1990、岩波書店、初、カバー(少焼け)、帯、四六版、422P

1,500円

≪啓蒙≫と≪神話≫の弁証法的関係を探求したフランクフルト学派の泰斗による代表的著作。

「・・・彼らが、故国での体験のみならずアメリカ社会の実情を含めて、一貫して見据えているのは、ある長い歴史、世界史的・人類史的過程としての西欧文明の終りだからである。そういう一つの終末に視座を置いて、彼らはこの文明の根源へと省察の眼を向ける。本書の表題とされる≪啓蒙≫とは、たんに無知を啓発するという教育的意味や、歴史上の一時期をさすのではなくて、こういう人類史的過程を貫く文明化の過程という意味をもっている。さしあたり文明とは野蛮に対立するものと考えられるとすれば、”何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代りに、一種の新しい野蛮状態へと落ち込んでいくのか”という問いが、つまり文明がその反対物へ転化しているという現状認識に基づいて、その由来を尋ねることが、『啓蒙の弁証法』のライトモチーフとなる。この≪文明化=啓蒙≫の過程は、通常、広義の≪進歩≫とか、≪呪術からの解放≫とか≪神話から合理性へ≫という形で捉えられている。こういう≪合理化≫の過程が、弁証法的構造を持つということは、歴史的には、神話からの離脱としての啓蒙がふたたび神話へ転落するという事態を指示し、論理的には、それは啓蒙と神話との≪非同一性≫という形で展開されている。しかし著者たちは、啓蒙の自己崩壊という近代の過程を記述し、文化ペシミストたちがやるように、その現状をただ詠嘆しているわけではない。歴史の発端にさかのぼり、近代だけでなく、ポスト・モダンをも貫いて進展していく啓蒙の弁証法的過程は、≪主体性の原史≫という次元にまで掘り下げて問題化されており、それが本書の歴史的省察に、哲学的な深みを与えている。・・・」
(訳者「あとがき」より)