エドワード・W・サイード
『イスラム報道:ニュースはいかにつくられるか』

1986、みすず書房、初、カバー(少焼け)、四六版、220P、浅井信雄・佐藤成文訳

1,000円

イスラム報道にみられる負の表象に≪オリエンタリズム≫としての知と権力の構造を見るサイードによる問題提起の書。
「オスカー・ワイルドは、冷笑家について、あらゆるものの値段を知っているのに価値を知らない人と、定義しているが、私もそう思われないように、最後に付け加えておくべきことがある。私も知識の豊かな専門家の意見の必要性を認めること、大国としてのアメリカは外部世界に対して中小国家とは異なる態度や政策をもつこと、目下の憂慮すべき状況がよくなる望みは大いにあること、である。にもかかわらず、多くの専門家、政策立案者、一般の知識人ほどには、私は≪イスラム≫の概念を強くは信用しない。反対に、私はしばしば考えるのだが、人びとや社会を動かすものを理解するにあたって、それは助けになるどころか邪魔になってきた。だが、私が本当に信ずるのは、批判精神の存在、および専門家の特殊利害や常識的見解を超越して批判精神を発揮する能力と意志をもつ市民の存在である。良き批判的読者の技術を利用して無意味から意味を取り出すことによって、また正しい質問を問い適切な回答を期待することによって、≪イスラム≫あるいはイスラム世界を知り、そのなかに生息し、その言語を話し、その空気を吸収し、その歴史と社会を生み出す男と女と文化を知ることは、誰にでも可能である。その段階で、人間的な知識が始まり、その知識を求める公共の責任がになわれ始める。・・・」