ハーバート・リード
『モダン・アートの哲学』

1955、みすず書房、初、カバー(少焼け)、帯(焼け)、数か所アンダーラインあり、四六版、371P、宇佐美英治ほか訳

1,000円

世界的美術評論家によるモダン・アート論。
「十五年間の期間にわたっていろいろな機会に書かれた論文集に『モダン・アートの哲学』と題するのはおそらく大げさにすぎるであろう。私はその間ずっと一貫したプランを心に持っていたとはいえないし、また様々の目的が種種スタイルのちがった語り方を要求したのである。一つ、とりわけ変則的なことをあげるとすれば、それは私が、観る者の立場から(外からab extra)、ほとんど或いは全然ことわりもなく、創造する芸術家の立場に移行するので、このやりかたには読者がまごつかざるをえないということである。

しかし、哲学的でないとすれば、私がこの本の中だけでなく、人生の最良の期間に、うちこんだこの仕事は何だろうか。それは批評ではない。なぜなら個々の芸術作品を査定しようとも、また芸術家を価値の階層(ハイエラーキー)に整頓しようとも、決して思わなかったからである。歴史ではない。なぜなら私は諸連繋を意識し、伝統の再出現を大いに跡づけたいと思いはすが、私は一時代を完全に描き出すほど体系的ではなく、また一画派を規定したり、一世代を分類したりしうるだけの確信がない。私が採用する方法は、一つの価値判断の確立であるから哲学的といわれてよいものであろう。正確にいうなら、私は人間進化の作因或いは手段のうちで、芸術がとりわけ重要だと信じている。私は美的能力は人間がまず意識を獲得し、ついでこれを鍛錬する手段であったと信じている。それがなければ混沌におちいってしまう。諸要素の進んだ組織体制たる形体(フォルム)は知覚の中に与えられるものである。それはあらゆる手仕事の熟練の中に存在する。熟練とは行為の中に顕われるフォルムに対する本能であるからだ。この生理学的な本能的な地平を越えて、人間進化の一段の進歩はつねに形体的価値の実現によって来たのであった。

形体的な諸価値を現実化すること、それが美的活動である。美的活動はその本性と機能において生物学的なものだ。が人間の進化は、特に、また例外的に、この能力を所有するがために、動物的進化から区別をされる。

この信念に対する証拠は本書の中に体系的には出ていないが、本書の性格はこの信念によって決定せられている。旧石器時代の洞窟絵画から最近の構成主義の発展に至るまで、いかなる芸術のすがたも、私には人間の美的活動の生物学的且つ目的論的意義の例示と見えないものはない。これがこれらの論文の底に横たわる仮設であって、これらの論文が論理的に一貫性を持つとすれば、それはいずれもこの仮説から発するのである。・・・」