古書&アート作品

ベネディクト・アンダーソン
『想像の共同体』

1987、リブロポート、初、カバー、帯、四六版、288P
1,500円

国民を≪想像の共同体≫として捉え、そうした共同体が人々の心の中にどのように生れ、世界に普及したかのか、ナショナリズム研究の古典。 「無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない。これらの記念碑は、故意にからっぽであるか、あるいはそこにだれがねむっているのかだれも知らない。そしてまさにその故に、これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。これはかつてまったく例のないことであった。それがどれほど近代的なことかは、どこかのでしゃばりが無名戦士の名前を≪発見≫したとか、記念碑に本物の骨をいれようと言いはったとして、一般の人々がどんな反応をする »続きを読む

マックス・ヴェーバー
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

1988、岩波書店、初、カバー、大塚久雄訳
00円 (在庫なし)

「・・・近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、天職理念を土台とした合理的生活態度は―この論稿はこのことを証明しようとしてきたのだが―キリスト教的禁欲の精神から生まれたのだった。読者はここでいま一度、この論稿の冒頭で引用したフランクリンの小論を読みかえして、その個所でわれわれが≪資本主義の精神≫とよんだあの心情の本質的要素が、さきにピュウリタンの〔天職意識に由来する〕職業的禁欲の内容として析出したものと同じであって、ただフランクリンのばあいには、宗教的基礎づけがすでに生命を失って欠落しているにすぎない、ということを見とどけていただ »続きを読む

宇井純
『公害の政治学:水俣病を追って』

1968年、三省堂、帯、本体天に少経年シミ、新書版、216P
1,000円

  水俣病とは何か、そこからどんな教訓を引き出すことができるのか。 「・・・水俣病はけっして過去の病気ではない。今もなお狂いまわって苦しむ患者、眼も見えず、耳も聞こえない子供たちは死の病であり、働き手がたおれた家庭にとっては取り返しのつかない災厄となっている。見せかけの繁栄のかげで、病気になったらおしまいだ、からだだけが頼りになる元手だとつぶやく私たちにとっても、けっして他人事ではない。 水俣病が破壊したのは患者の生活ばかりではない。かつて貧しいながら安定していた漁民の生活をどん底に落し、工場にたよる経済に生きる町の人々との間に、不信と反目、はてはねたみさえ生んだ »続きを読む

イマニュエル・ウォーラーステイン
『近代世界システム1,2』

1981、岩波書店、初、カバー(2巻の背少ヤケ)、1巻の1ページ少スレ
2,500円

「万物は変化するという言葉がある。しかし、天の下、変化するものなしともいう。いずれの常套句も一面の≪真理≫ではある。構造というものは、珊瑚礁にも似て、比較的長い期間にわたって確固として動かない人間関係のことであるが、同時にそれは、生まれ、成長し、やがて死に至る生きものでもあるからだ。 社会変動の研究という言葉は、社会諸科学の総合の意味にも用いられようが、そうでなければ、もっとも変化しにくい現象の変化の研究というくらいの意味に限定して使用すべきであろう。とはいえ、変化しにくいということの意味そのものも、歴史上の時と所によって変化しうるものであるわけだが。 世界を対象とする社会 »続きを読む

上野千鶴子
『家父長制と資本制:マルクス主義フェミニズムの地平』

1990、岩波書店、初、カバー、本体少経年染み、四六版、330P
1,500円

構想10年、著者渾身の書。 「フェミニズムの社会理論は、近代批判から出発した。性差別は、≪近代≫のただ中にあった。それは≪近代≫に≪あるはずのない≫もしくは≪あってはならない≫ものどころか、それなしには≪近代≫が成り立たない構造的な要因として、組み込まれていた。それは≪前近代の残滓≫でもなければ≪近代の不徹底≫でもなかった。フェミニズムはこの近代的な性支配のしくみを、構造的に解明しようとした。 フェミニズムは近代が産んだ思想だが―その限りで、マルクス主義やフロイト理論が近代の思潮であるのと同じである―同時代批判の理論として成立した。フェミニズムを近代主義と等置する人々は、た »続きを読む