萬來舎/ノグチ・ルームの存続の問題が浮上の折、改めてそのユニークな建築空間の意義を考え、記憶としての建築の側面を論じたもの。 「・・・本来、多様な年齢・関心の人々が集い、しかも外部の人も自由に出入りできるはずの≪大学≫という空間。しかし、実態は、様々な制度的なハビトゥスに雁字搦めに拘束され、学生たちが自由に集い語らう場すら十分に与えられていない、没コミュニケーティヴな空間(もちろん、学生たちにも責任の一端はある)。≪萬來喫茶イサム≫は、そうした大学の制度的網目の透き間を、コミュニケーティブな熱気で押し広げ、大学が通常抑圧している文化的潜勢力を再活性化しようとする≪セルフ・オ »続きを読む
人文科学
慶應義塾大学アートセンター編、2005、227P
『中間者の哲学:メタ・フィジックを超えて』
1990、岩波書店、初、カバー、(経年少シミ)、帯、四六版、300P
1,500円
他者を排除しない、・・異次元の思考は可能か。 「≪中間者の哲学≫は、あくまでも断片としての中間者を基盤において、中間者を超える領域をさぐり、ふたたび中間者にかえることである。その全過程が中間者の行為あり、思索であり、中間者を定義するものでもある。・・・中間者は、全体でなく、欠如であるからこそ全体化を指向し、部分としては過剰であるからこそ全体化を指向する。インテンション(指向=意志)は≪断片≫である中間者の特徴である。・・・トランス・フィジックは、人間という中間者(パスカルのいう≪考える葦≫)を基本にすえた哲学であるが、ヒューマニズムではない。ヒューマニズムが人間中心主義とい »続きを読む
『イスラーム文化:その根底にあるもの』
1981、石坂記念財団(岩波書店発行)非売品、初、カバー(背少日焼け)、四六版、222P
2,000円
イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているもの、その根底にあるものについて論じた、イスラームを考える上での必読書。のちに岩波書店から単行本、文庫化された。 「・・・われわれ日本人は、いままでイスラームについてあまりにも無関心でありすぎたと思います。いわゆる世界の地球社会化が急速に進展しつつある現在、東洋と西洋の中間に位置して、重要な世界史的役割を果たしてきた、そしていまも果たしつつある、中近東の一大文化、イスラームを、われわれ日本人も、日本人の立場から、日本人の独特の見方で積極的に理解するように努めなければならないと思います。」
『自己について』
1989、私家版、初、アンカット、表紙・扉絵:松野安男、四六版、285P
2,500円
”自己とは何?”という本質的な問いに関し思索を促す書。のちに青土社から市販された。「これから人間的自己についての哲学的考察ということでお話いたします。人間の自己という問題をめぐって、これまで私が考えてきたことの総まとめともいうべきものを、ここを場所として試みようと思っております。要点は≪自己とは何か≫という問題を、実存的自己を中心に、多くの相貌を思い合わせつつ哲学的に考察することを通じて、哲学の、とくに人間にとって哲学の何たるかを講じること、というようなことになります。・・・ 人間は、母親の体から切り離され、オギャーと産声をあげたそのときから、社会という枠のなかで生き続ける »続きを読む
『ライプニッツの哲学』
1984、岩波書店、初、函、四六版、225P
2,000円
ライプニッツの哲学にまつわる誤解を軽減させ、その思索の多面性に迫る。 「・・・ライプニッツの論理と言語に関する哲学的思索はあらゆる面で、従来考えられたよりも遥かに筋が通っているし、ラッセルが言ったよりははるかに辻褄の合うものである。このことは、私の勝手な思い込みではないかと確信する。多くの点で、ライプニッツの学説は、ロックやバークリーの哲学体系のみならず、カントの哲学に較べても、遥かに新鮮である。勿論、後に指摘するように、ライプニッツの説の中には明らかに誤りであるものもあるし、彼が残した膨大な数の断片には相矛盾する箇所もある。しかし、彼の形而上学が単純極まる論理学説に基礎づ »続きを読む