古書&アート作品

ジャン・ボードリヤール
『物の体系』

1980、法政大学出版局、初、カバー、帯、四六版、264P、宇波彰訳
00円 (在庫なし)

≪物から記号へ≫という思考を展開させたボードリャールの最初の著作。 「消費は、物質にかかわる行動ではなく、≪豊富さ≫の現象学でもない。それは食料品によっても、衣服によっても、自動車によっても、イメージとメッセージという、口で伝えたり目で見える実体によっても定義されるものでもなく、そういうもののすべてを意味作用を持つ実体に組織することとして定義される。消費は、今や多かれ少なかれ整合的な言説として構成されている。すべての物・メッセージの潜在的な全体である。消費は、それがひとつの意味を持つ限りにおいては、記号の体系的操作の活動である。」

堀田善衛
『インドで考えたこと』

1957、岩波書店、帯(背少焼け)、本体少時代しみ、初、新書版、210P
00円 (在庫なし)

1956年秋第一回アジア作家会議に出席するため著者がインドに滞在した際、感じ考えた≪思想≫旅行記。 「・・・日本と西欧、このユーラシア大陸の極東にある島と、極西にある半島。そのまんなかにある広大で大々的なるモノ。文化文明における古代史上代的な秩序というところでは、われわれの祖先は、この大々的なモノに学んで、それを取り入れた。ヒマラヤの向こうの山の方から、三蔵法師がひょっくりと出て来るような気がする。遣唐使たちが、そのまた向うの方でウロウロしているように思う。ところが、文化文明における近代史現代史的秩序においては、われわれ日本人は、この広大なる地域を、たとえば腰にぶらさがって »続きを読む

構成:松田行正
『眼球譚/月球譚』

1992、牛若丸、初、カバー(縁少焼け)、限定200部、非売品、見返しに覚書小さく書込みあり、B6版、160P
00円 (在庫なし)

「眼に執着するのは精神分裂病者の特徴のひとつだとよく言われる。彼らは他者の視線を異常に気にして、不安や恐れを抱きながら同じ表現を繰り返しおこなう。私も赤面恐怖症ぎみで、他人の視線がどっと押し寄せてくる気がすることがある。そこで思いきり眼に執着して絵画の中の女性の左眼ばかりを集めてみました。19世紀中葉に写真が一般化して以来絵画は従来の毅然たる態度は維持できなくなっていった。クールベやマネの写真的リアリズム絵画に批判は集中し、ポール・ヴァレリーにして≪生のままの真実は虚偽以上に虚偽」と言わしめた消息が席巻していた。そこに抽象表現も加わって、恐らく人類の美術史上一番おもしろい世 »続きを読む

編者:松田智雄
『巨富への道―西欧篇―』

1955年、中央公論社、初、カバー、帯、本体経年少やけ、新書版、装丁:恩地孝四郎、カット:東貞美 239P
00円 (在庫なし)

大塚久雄「巨万の富―歴史における富豪と民衆」、諸田実「ヤコブ・フッガー―中世の墓掘人」、近藤晃「ジョージ・ホスキンス―十六、七世紀のイギリス・ヨウマン―」、中川敬一郎「ロスチャイルド―世界を動かした金融王国―」、平出宣道「カーネギー―アメリカの大産業資本」、松田智雄「クルップ―ドイツ最大の兵器工場がたどった宿命」など。 「旧約聖書の昔から現代の財閥にいたるまで、巨大な富はその性格を歴史とともに変えながらもすべて民衆の貧困の上に築かれている。・・物持・金持から財閥・巨富への道はどのような道であったろうか。そしてこの道はどこへつづくのだろうか。」(帯文より)

松隈俊子
『新渡戸稲造』

1969、みすず書房、函(背少焼け・少痛み)、帯(背少焼け・少痛み)、初、四六版、280P
2,000円

東京女子大学の第一期卒業生として新渡戸の薫陶に与った教え子による評伝。 「・・・『武士道』を書くについて、彼は、日本人の道徳生活を支配するもののなかに武士道のあることを示し、武士道的道徳の成り立つ諸徳が、日本固有のものであると同時に、西洋の道徳思想の根本をなすキリスト教の思想といかに共通しているか、武士道の諸徳はキリスト教の思想の中に包含されていることを示したのである。 彼自身が武士道的環境のなかで育まれ、その修養向上の精神がたまたまキリスト教信仰への探求となった。その彼の、現実の苦難を通しての深い体験から生み出されたこの書は、いわば武士道の正しい躾を見につけた日本人が、キ »続きを読む