歴史の女神(ミューズ)であるクリオに託し、人間性を深める学問としての歴史に関するハーバート・ノーマンの随筆・講演集。「・・・歴史にはいったい主流とか統一的テーマというものがあるのか、という人があるかもしれない。そこで私は、正しい遠近法―というのは遠い背景をいうことが多いのだが―から見るならば、歴史の中心問題は、民族の場合でも国家の場合でも、変化の性格を発見し説明することであると、大胆ながら答えたい。変化というのは、文明の勃興であり没落である。都市の発展であり荒廃である。一つの社会組織については階級の変化である。制度についてはその形式ばかりでなく内容の変化である。また一時代の »続きを読む
人文科学
1956、岩波書店、初、全体に少経年シミ、新書版、230P、大窪愿二訳
『テクストの快楽』
1977、みすず書房、初、カバー(少汚れ)、四六版、160P
1,500円
テクストと快楽・悦楽との関係をアフォリズムのような断章で論じた書。 「≪文≫は階級的である。支配がり、従属があり、内的制辞がある。こうして、完結に到る。どうして階級性が開かれたままであることができようか。≪文≫は完結する。それは正に完結した言語活動でさえある。この点で、理論と実践は非常に食い違う。文は権利上無限である(無限に触媒化し得る)と、理論(チョムスキー)はいう。しかし、実践は常に文を終えることを強制する。≪イデオロギー的活動はすべて、構成上、完結された言表の形で現われる。」ジュリア・クリステヴァのこの命題を裏返してみよう。すなわち、完結された言表はすべてイデオロギー »続きを読む
『表徴の帝国』
1974、新潮社、初、函、宗左近訳
00円 (在庫なし)
「わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、≪いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である≫という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。毎日毎日、鉄砲玉のように急速に精力的ですばやい運転で、タクシーはこの円環を迂回している。この円の低い頂点、不可視の可視的な形、これは神聖なる≪無≫をかくしている。現代の最も強力な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環の »続きを読む
『音楽と社会』
2004、みすず書房、初、カバー、帯、アラ・グゼミリアン編、四六版、259P、中野真紀子訳
00円 (在庫なし)
つねに境界をまたいで移動し続ける二人が、グローバリズムと土地、アイデンティティの問題、フルトヴェングラー、ワーグナーなどを議論の材料に、自分たちの相似したところと相反したところを語りつくす。 「グゼミリアン:アット・ホーム(家にいる・くつろいでいる)と感じるのはどこだろう。あるいは、そもそもアット・ホームという感覚をもつことがあるのだろうか。それとも、自分は一生移動しつづけると感じるのだろうか。 バレンボイム:使い古され、濫用された決まり文句ではあるけれど、≪音楽ができれば、どこでもわが家≫というのは、ほんとうだ。・・・僕がどこかで自分の家にいるような気分になるとすれば、じ »続きを読む
『歴史の必然性』
1966、みすず書房、初、カバー(背少焼け)、帯(背少焼け)、四六版、288P、生松敬三訳
00円 (在庫なし)
18世紀以来西欧を支配した啓蒙の歴史観を検証するバーリンの歴史書。 「・・・われわれは無知、愚昧、激情によって盲目にさらされている。科学や歴史における説明という仕事は、諸現象の混沌を真実在の完全なる秩序の不完全な反映として示し、もういちどすべてをそのあるべきところにあらしめる企てである。説明とは、≪根底にある≫パターンの発見である。ここにおいて理想は、あらゆる事物や人間を自己実現へとさし招く遠い彼方の展望ではなく、自己矛盾のない、永遠・究極の≪真実在の構造≫であって、これはいわば≪無時間的≫に、混乱した感覚の世界と共存する。この混乱した感覚の世界は、永遠・究極の≪真実在の構 »続きを読む
