人文科学

荻野恒一
『現存在分析』

1969、紀伊国屋書店、初、帯(少切れ)、新書版、202P
1,000円

現象学的方法で病者の志向性を捉える現存在分析とは?。 「現存在分析とは、人間についての学問の一つである。しかもこれは、一つの経験科学であって、哲学ではない。だが他方、経験科学とは、かならずしも自然科学を意味しない。いな、むしろ現存在分析は、自然科学に対応するような別種の経験科学である。 ではなぜ二十世紀の今日、自然科学と別種の経験科学が必要なのか。それは、人間には自然科学が解いてくれない側面があり、しかもこの側面を科学的に解明していくことは、今日きわめて現実的な課題だからである。 とすると、自然科学が解明してくれない人間の側面とはなにか。それは、人間だけに具わっている側面な »続きを読む

編集:小尾俊人
『回想・北野民夫』

1989、みすず書房、初、函(少キズ)、非売品、四六版、144P
4,000円

みすず書房創業に特別な役割を果たした北野民夫に捧げられた追悼集。 「“葱汁うまし逸話を持たで五十路過ぐ”の一句が故人にある。逸話なき人生を自覚していたこと、自己の人生を突き放してこう詠める人は達観しきっている。そして底に孤独に徹する凄さを秘めていなくては、この句は生れない。そもそも逸話とは他人の創作だ。第一逸話がつくられたも許される人は、ミケランジェロ、ベートーヴェン、アインシュタイン等々、一世紀に四、五人ぐらいしかいないのである。 ≪生涯現役≫≪企業戦士の壮烈な死≫と、よく言われた言葉があったが、北野民夫の七五年の生涯は、まさにこの言葉そのままであった。倉庫業、出版業、法 »続きを読む

編者:米倉守
『全体人 河北倫明』

1992年、芸術新聞社、非売品、174P

2,500円

河北倫明の文化功労者を祝う会の折の配り本。  「・・・<両洋の眼>は、いわゆる西洋の眼でなく、東洋の眼でもない。ひろくその両洋を貫通する眼であり、つまりは<日本の眼>である。・・・<両洋の眼>こそは、まさに二十一世紀の眼というにふさわしい。・・・」  (「両洋の眼」展発足より)

加藤周一
『日本文化における時間と空間』

2007、岩波書店、重版、カバー、帯、本体少痛み、四六版、246P
00円 (在庫なし)

≪今=ここ≫に生きる日本文化の本質を抉る。「・・・日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。・・・≪鬼は外≫の背景は、おそらく、強い集団帰属意識である。集団は日常的な生活空間であるから、強い集団帰属意識は、当事者にとってその生活の場所=≪ここ≫が世界であることを、意味するだろう。鬼は世界の外(異界)に住む。別の言葉でいえば、集団の外部は、内部の延長としてではなく、内部とは異 »続きを読む

加藤周一
『私にとっての20世紀』

2,000、岩波書店、初、カバー、帯(少焼け)、四六版、247P
1,500円

戦争、ナショナリズム、歴史、社会主義などのキーワーズとともに、自らの足跡を重ね合わせ、20世紀とはどういう時代であったかを加藤周一が読み解く。 「・・・20世紀は、十九世紀型の民族国家よりもっと小さな単位で民族がそれ自身のアイデンティティを強調する傾向へいくと同時に、民族国家の枠を超えたもっと大きな国際的な組織のほうへ向かっていく傾向と両方の面をもちました。 二十世紀の歴史は、戦争をなくすことに失敗し、大きな戦争が絶えず起こりました。戦争に至らないまでも、ところによっては鋭い社会的対立・緊張を生み出す形で作用している。ある意味では経済的効率がそのために高まったという面もある »続きを読む