古書&アート作品

『トインビー:人と史観』

社会思想研究会編、1957年、初、函、238P
1,500円

1956年秋、国際文化会館の招聘で来日した『歴史の研究』で名高いアーノルド・トインビー氏の謦咳に接した日本の識者によるトインビー論。(執筆者に、江口朴郎、深瀬基寛、貝塚茂樹、山本新ほか) 「・・・私がトインビー博士の人柄のうちに感ずるもう一つの統一、それはストイシズム(禁欲主義)とエピキュアニズム(快楽主義)との調和である。ここで私のいうストイシズムとエピキュアニズムとは、ヘレニズム文化の二大学派であったゼノンとエピクロスの学派をいうのである。そして、ジャイロスコープとレーダーの二つの機械では、より基本的にはジャイロスコープに博士が依存していたのと同様、この二人の古代の哲人 »続きを読む

東野芳明
『グロッタの画家』

1957、美術出版社、初、カバー(痛み、補修あり)、菊判、178P、荒正人宛て署名入り
00円 (在庫なし)

「・・・“グロッタ”といっても、けっして、クルった言葉ではない。Grottaは、洞窟を意味する語で、“怪奇な”“異様な”という意味の“グロテスク”という言葉の語源になった言葉である。 ところで、事物が素直に人間の命名式にたちあい、その手のなかでおとなしくしている間は(じつは、そんな振りをしているだけなのだが)、人間は世界に安住し、ある様式、ある秩序形態の上に、すべてが和合している社会が保たれる。しかし、事物と人間の関係が険悪になり、事物がおとなしい飼猫から、一キョに獰猛な野獣に化し、いままで隠していた牙をむき出して人間にせまってくると、もうそれまでの言葉という網は、なんの役 »続きを読む

鶴見俊輔
『戦時期日本の精神史―1931~1945年―』

1982、岩波書店、初、函、帯、294P
1,000円

1931年から1945年までの時代を、転向、国体、大アジア、日本の中の朝鮮、非スターリン化、玉砕の思想、原爆の犠牲者、戦争の終り、などの観点から論じるた、カナダのマッギル大学で行った講義の記録。 「・・・日本は、米国やソビエト・ロシアのような超大国にくらべることのできない小さな軍備をもち、軍事的な強制手段に頼ることなくほかの国々との貿易を求めていかなければなりません。この見通しは、かつて戦時下に鎖国状態が用いられた仕方で、軍国としての団結と膨張への道をとることを妨げます。日本に在留する朝鮮人の集団、戦争によって本土の人たちとくらべようもないほどに手痛く打撃を受けた沖縄の住民 »続きを読む

鶴見良行
『ココス島奇譚』

1995、みすず書房、カバー、帯、初、四六版、188P
1,000円

遠くインド洋に浮かぶ孤島ココスの隠された歴史を捉える。 「・・・サバのココス島移民で特徴的なのは、かれらがマラヤ語を母語とするムスリムでありながら、サバに溶解してしまわずに、どこでもココス集団を維持していることだ。しかもそのまとまり具合、つまりアイデンティティはココス島民であることを中核としている。大昔日本列島のどこかに一粒の原種があって、そこからヤマト民族が生まれてきたと日本人は信仰しているようだ。ところがココス島ではほんの一五〇年の昔、つれてこられた奴隷や囚人の子孫がその無残な歴史からアイデンティティを創造し、今もそれを“ココス村”として守っている。まことにヒト属は尋常 »続きを読む

中沢新一
『はじまりのレーニン』

1994年、岩波書店、カバー、帯
1,000円

「・・・笑いが開くその無底の空間を、レーニンは<物質>と名づけた。そして、その<物質>にむかってこころみられる、知性のおこなうかぎりない接近の実践運動を、<唯物論>と呼んだ。だから、レーニンの唯物論とは、笑う哲学の別名なのだ。笑う哲学である唯物論は、笑いによって、信仰と宗教を凌駕しようとするだろう。またそれは、笑いによって、革命をおこなう。テーブルの下に頭をつっこんでも、なおおさまらない嵐と同じ本質をもった力が、暴力となって国家機構を破壊しようとするだろう。笑いのなかにあっては、かぎりないやさしさと、おそるべき残酷が共存している。やさしさと残酷の共存。それは、レーニンその人 »続きを読む