古書&アート作品

加藤周一
『雑種文化:日本の小さな希望』

1957、講談社、初、新書版、204P
00円 (在庫なし)

日本文化の特徴を雑種性と捉えた論考を軸に、長旅から帰国した著者が、教育、文学、社会などにつき、文化全体から眺め論じた評論で構成された書。 「西ヨーロッパで暮らしていたときには西ヨーロッパと日本を比較し、日本的なものの内容を伝統的な古い日本を中心として考える傾きがあった。ところが日本へかえってきてみて、日本的なものは他のアジア諸国とのちがい、つまり日本の西洋化が深いところへ入っているという事実そのものにももとめなければならないと考えるようになった。ということは伝統的な日本から西洋化した日本へ注意が移ってきたということでは決してない。そうではなくて日本の文化の特徴は、その二つの »続きを読む

E. H. カー
『歴史とは何か』

1962、岩波書店、初、帯(少やけ)、新書版、252P、清水幾太郎訳
1,000円

≪歴史とは何か?≫という疑問に切り込んだEHカーによるの講演録。 「”歴史は、現在と過去との対話である。”・・・これは、彼の歴史哲学の精神である。一方、過去は、過去のゆえに問題となるのではなく、私たちが生きる現在にとっての意味のゆえに問題になるのであり、他方、現在というものの意味は、孤立した現在においてでなく、過去との関係を通じて明らかになるものである。したがって、時々刻々、現在が未来に食い込むにつれて、過去はその姿を新しくし、その意味を変じて行く。・・・EHカーの歴史哲学は、私たちを遠い過去へ連れ戻すのではなく、過去を語りながら、現在が未来へ食い込 »続きを読む

川添登
『建築の滅亡』

1960、現代思潮社、初、背少焼け汚れ、新書版、208P
00円 (在庫なし)

来るべき建築、都市の未来を考える。 「・・・原始人たちは、大地が無限であり、また、時間が永遠であることを知っていた。それ故にこそ、彼らは、むしろ新陳代謝の状態こそ、その永遠性の中により良く生き続けることになると信じていたに違いない。 永遠性を主張する建築が出現するのは、権力を私有するものの発生によってである。自らの地位―その位置する時間と空間とを奪われることを極度に恐れたものが、いわゆる≪建築≫を生み出したのだ。また、中世のキリスト教徒たちが、永遠性を彼らの大伽藍に表現したのは、実に彼らが終末説を信じたが故にであった。 来るべき世紀は、人びとが土地から離れることによって、ふ »続きを読む

河合隼雄
『生と死の接点』

1989年、岩波書店、カバー、帯、四六版、358P
1,000円

さまざまな意味での接点の仕事である心理療法の角度から、老い、生、死の意味について考える。 「現代はあらゆる面において、≪境界≫ということが大きい問題となりつつあると考えられる。いわゆるフロンティア精神は、既知の領域から≪辺境≫に向かってゆく、という意味であったが、ここに取りあげている≪境界≫は、既知の領域と既知の領域の間にある一本の≪線≫として、≪領域≫であるという認識さえなく、あまりにも自明なこととしておかれたものである。その自明な線は果してそれほど自明であったろうか、という疑問があちこちに生じてきて、それはそのような区分によって保たれているかに見えた秩序を根本的に揺がす »続きを読む

木村敏
『人と人との間』

1974、弘文堂、初、函(数か所に染み)、四六版、238P
1,000円

日本人論の古典の一冊。 「≪われわれ日本人≫に表されている日本人の集合的アイデンティティーが、西洋人のそれと違って個人的レベルのものではなく、超個人的な血縁的、それも血縁史なアイデンティティーであるということ、これが本書において最初に押さえておきたい一つの眼目である。この血縁史的アイデンティティーは、実に多くの「日本固有」の現象を説明する鍵になる。例えば中根千枝氏のいわゆる≪タテ社会≫をとってみても、これはいわば、この血縁史的アイデンティティーが、現在の時点に投影されたものにほかならないし、土居健郎氏のいう≪甘え≫にしても、このアイデンティティーが現実の対人関係の場面に投影 »続きを読む