「芸術作品はいくつかに分類しうる内容からできているというきわめて疑わしい理論の上に、解釈は成立しているが、これは芸術を冒涜するものだ。それは芸術を一種の実用品と化し、頭のなかにできあがっている範疇に分類しようとするものだ。・・・批評の機能は、作品がいかにしてそのもであるかを、いや作品がまさにそのものであることを、明らかにすることであって、作品が何を意味しているかを示すことではない。解釈学の代わりに、われわれは芸術の官能美学を必要としている。」
古書&アート作品
1963、竹内書店、初、カバー、帯(少痛み)、高橋康也ほか訳
『ルポルタージュ日本の証言⑥:鉄:オモチャの世界』
1955、柏林書房、カバー[少汚れ・ムレ]、新書版、96ページ、本体少しみ、初挿絵:池田竜雄
3,000円
子供たちの夢、オモチャのうしろにある怪物、鉄のオモチャに関するルポルタージュ。 「・・・昨年、比喩についての論争にまきこまれていらい、私はあらためて記録について考え、記録の芸術性をどうしても追及しなければならなくなったが、その結果として現代の寓話を発見したのである。オモチャは単なる現実の反映であるが、オモチャをみた目で、現実をみなおすとき、現実はオモチャのようにみえてくる。つまり、これが比喩、あるいは象徴の段階であるが、一歩進めた私たちの認識は現実をオモチャとして捉えることができなければならない。ここに分析の過程があり、最後の綜合においてオモチャと現実の境界はまったく取去ら »続きを読む
『プールサイド小景』
1955、みすず書房、 初、カバー、帯、 芥川賞
佐々木基一宛署名
10万円
「”何という、うっかりしたことだろう。いったい、自分たち夫婦は、十五年も一緒に暮していて、その間に何を話し合っていたのだろうか?” 快活な課長代理夫人の目には、夫の生活や心情が見えなかっただけでなく、自分の過してきた時間、自分の毎日さえも見えていなかった。その夫が会社の金を使いこんでクビになるということでとつぜん時間の運行が停止してみて、はじめて今自分は何をしているのだろうかと不安になる。 一方夫は、朝早く会社に出た時、誰もいない事務所の椅子の背に、そこに坐る人間から滲み出た油のようなしみを見る。また仕事中に便所へ行く時、白 »続きを読む
『ピカソ:剽窃の論理』
1964年、筑摩書房、函(少汚れ))
00円 (在庫なし)
「“目の下に新しいものなし”とは、遠い昔から伝えられて来た人類の智慧である。すべてを歴史の流れの中において見る時、どんなに突飛と思われる事象も、綿密にはりめぐらされた運命の網目の中に捉えられ、“歴史的必然”の中に解消させられてしまう。芸術作品といえども、無論例外ではない。どのように独創的作品でも、どんなに“異端”の芸術家でも、必ずそのよって来るべき過去を持っており、与えられた条件の中でのみそうあり得たような歴史的側面を持っている。・・・しかしながら他方、別の見地に立って見れば、独創性こそは、どのようなかたちをとってあらわれるにもせよ、それなくしては芸術作品の存立そのものの根 »続きを読む
『大衆藝術』
1954、河出書房、本体経年少シミ、帯、新書版、174P
1,000円
我々に身近な藝術を通し大衆の中に生き続ける生活の思想を求めた清新な労作。「現代の思想家は、ほとんどみな、時代にとりのこされつつあるのでないか。現代の思想家は、現代の大衆の思想問題ととりくむために必要な訓練を、欠いているのではないか。・・・今世紀の変化に対応して、思想家もまた、自己の武装を新しくしなければならない。そうでなければ、やがては大衆と縁なきものになってしまう。いや既に、そうなりつつあるではないか。・・・最初の課題にもどって考えてみると、今日の文筆業者たる我々は、コミュニケーション史上の過渡期に立っているわけである。我々は、この過渡期に殉じるだけの勇気と冒険心を持つべ »続きを読む
