人文科学

鶴見良行
『ココス島奇譚』

1995、みすず書房、カバー、帯、初、四六版、188P
1,000円

遠くインド洋に浮かぶ孤島ココスの隠された歴史を捉える。 「・・・サバのココス島移民で特徴的なのは、かれらがマラヤ語を母語とするムスリムでありながら、サバに溶解してしまわずに、どこでもココス集団を維持していることだ。しかもそのまとまり具合、つまりアイデンティティはココス島民であることを中核としている。大昔日本列島のどこかに一粒の原種があって、そこからヤマト民族が生まれてきたと日本人は信仰しているようだ。ところがココス島ではほんの一五〇年の昔、つれてこられた奴隷や囚人の子孫がその無残な歴史からアイデンティティを創造し、今もそれを“ココス村”として守っている。まことにヒト属は尋常 »続きを読む

中沢新一
『はじまりのレーニン』

1994年、岩波書店、カバー、帯
1,000円

「・・・笑いが開くその無底の空間を、レーニンは<物質>と名づけた。そして、その<物質>にむかってこころみられる、知性のおこなうかぎりない接近の実践運動を、<唯物論>と呼んだ。だから、レーニンの唯物論とは、笑う哲学の別名なのだ。笑う哲学である唯物論は、笑いによって、信仰と宗教を凌駕しようとするだろう。またそれは、笑いによって、革命をおこなう。テーブルの下に頭をつっこんでも、なおおさまらない嵐と同じ本質をもった力が、暴力となって国家機構を破壊しようとするだろう。笑いのなかにあっては、かぎりないやさしさと、おそるべき残酷が共存している。やさしさと残酷の共存。それは、レーニンその人 »続きを読む

マックス・ホルクハイマー&テオドール・アドルノ
『啓蒙の弁証法』

1990、岩波書店、初、カバー(少焼け)、帯、四六版、422P
1,500円

≪啓蒙≫と≪神話≫の弁証法的関係を探求したフランクフルト学派の泰斗による代表的著作。 「・・・彼らが、故国での体験のみならずアメリカ社会の実情を含めて、一貫して見据えているのは、ある長い歴史、世界史的・人類史的過程としての西欧文明の終りだからである。そういう一つの終末に視座を置いて、彼らはこの文明の根源へと省察の眼を向ける。本書の表題とされる≪啓蒙≫とは、たんに無知を啓発するという教育的意味や、歴史上の一時期をさすのではなくて、こういう人類史的過程を貫く文明化の過程という意味をもっている。さしあたり文明とは野蛮に対立するものと考えられるとすれば、”何故に人類は、 »続きを読む

中村雄二郎
『人類知抄 百家言』

1996、朝日新聞社 非売品、初、函、菊判、326P
2,000円

古今東西の英知からのパサージュを通じ考え問う書。 「哲学が求められている、と言う。・・・。哲学はなによりも、生きることに渇きを感じる強烈な好奇心を持ち、思い考えることが生きることと直結することにならなければならないだろう。・・・。古今東西の≪人類の英知≫の掘り起こしという、いささか途方もないことを企てたのはどうしてか。私たち人類が地球規模で数世紀来の大転換期に遭遇しているいま、個々人がそれぞれの生き方を探る際に、それらの人類の英知を生かさない法はないからである。」

中沢新一
『チベットのモーツアルト』

1983、せりか書房、初、カバー、帯
1,500円

「この本の書名は、ジュリア・クリステヴァの論文集『ポリローグ』からとられている。『ポリローグ』のなかで、彼女は、フィリップ・ソレルスの小説『H』の音楽性について語っている。『H』には、句読点がひとつもない。言葉で書かれたものでありながら、シンタックスや論理や制度的なスカンションによる≪意味の有限化≫を拒絶しようとしている。≪意味の構造≫に微分・差異化のアタックがかけられ、さまざまなレヴェルの同一性は解体されて、意味は無限化にむかってひたすら疾走しはじめようとしている。 だが、『H』における意味の微分法は、同時にこのうえなく豊かな官能性に裏打ちされている。テクストをかたちづく »続きを読む