権力はいかに言説のかたちをとって身体・精神・欲望を形成するか。バトラーの代表作。 「ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまう。ジェンダーの意味をひとつに決定できないことが、まるでフェミニズムの失敗だと言わんばかりである。だがトラブルを否定的ニュアンスだけで考える必要はないだろう。子供のころの言葉の感覚では、トラブルを起こすことはやってはならないことだった。そうすれば、トラブルを起こした人がトラブルの状態に陥ってしまうからである。反抗したら叱られるというのも、同じ構図で考えていたように思う。こうしたことを知 »続きを読む
人文科学
1999、青土社、初、カバー、帯、四六版、296P、竹村和子訳
『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
1978、朝日出版社、カバー、帯
00円 (在庫なし)
フランスの代表的な哲学者三名を取り上げながら、彼らを語るとはどういうことなのか、さまざまな問いを投げかける批評。 「・・・あのフーコー、あのドゥルーズ、あのデリダとして誰もが知っている人称性の濃い三人の個人は、・・・それぞれ≪哲学者≫と呼びうる存在である。だが、それをめぐって語られる三つの挿話からなる『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』は≪哲学書≫にふさわしい相貌などいささかもそなえていない。それは、このとりあえずの著者とみなしうる人間にいわゆる≪哲学≫的教養が欠けていたという理由もあろう。だが、それ以上に、この≪三つの物語≫が決して≪哲学≫の物語として語られていないという理由 »続きを読む
『森のゲリラ 宮澤賢治』
1997、岩波書店、カバー、帯、菊判変形、190P
1,500円
宮澤賢治の作品をクレオール的な視点から読み直し、童話がもつ政治性を照らし出す。 「童話が語る歴史は、時代を縦断、空間を横断し、個体を束に変え、すべてを匿名性で語る形式を重んじます。今日の歴史学はようやく固有名から自由になろうとしていますし、国境や地域の枠からもしだいに自由になりかけていますが、なかなか難しいのが、時代を縦断すること―これだけは現行の歴史学にとっては曲者以上のものです。 私が≪童話学≫にがんばってもらいたいと思うのは、この歴史学の弱点をぜひ≪童話学≫に補ってもらいたいと思うからです。・・・」
『テロルを考える:イスラム主義と批判理論』
2005、みすず書房、初、カバー、帯、四六版、183P
1,500円
西洋の政治的規範のヘゲモニーに異議を唱える批判的言説としての≪イスラム主義≫について論じた書。 「研究休暇の大部分のあいだ、わたしはイスラムという共通言語で表現された、本書では≪イスラム主義≫と呼んでいる言説領域の、さまざまな政治言説について読みふけった。研究者や書き手によって、解釈や評価はさまざまだが、彼らはいずれも一致して、この政治言説を、いわゆる第三世界の数百万ものムスリムが経験してきた≪近代≫にたいする、辛い、しかしやむにやまれぬ批判であるとみている。おそらくなによりこの経験の共有性のゆえに、多様で広大な現代イスラム政治を、ひとつの言説領域とみなしてかまわないだろう »続きを読む
『フロイトの使命』
1959年、みすず書房、初、新書版、少経年焼け、佐治守夫訳、185P
1,000円
フロイトの精神分析の起源を、真理と理性に対する情熱とそのパースナリティに求め、論じた書。 「・・・真理と理性は、常識や大衆の意見とは対立するものである。大衆は都合のよい理屈に頼ろうとし、物事の表面だけから得られる見解に頼る。理性の働きとは、この表面をつきぬけて、その背後にかくされた本質に達することである。それは客観的に、即ち個人の欲求や恐怖によって決定されることなしに、ものごとや人間を動かしている力が何であるかを明確にすることである。この際には、人は、真理によって邪魔されたり、邪魔を憎む人達からの―たとえ軽蔑や嘲笑はなくとも―孤立には耐えるだけの勇気が必要である。フロイトは »続きを読む
