人文科学

アイザィア・バーリン
『歴史の必然性』

1966、みすず書房、初、カバー(背少焼け)、帯(背少焼け)、四六版、288P、生松敬三訳
00円 (在庫なし)

18世紀以来西欧を支配した啓蒙の歴史観を検証するバーリンの歴史書。 「・・・われわれは無知、愚昧、激情によって盲目にさらされている。科学や歴史における説明という仕事は、諸現象の混沌を真実在の完全なる秩序の不完全な反映として示し、もういちどすべてをそのあるべきところにあらしめる企てである。説明とは、≪根底にある≫パターンの発見である。ここにおいて理想は、あらゆる事物や人間を自己実現へとさし招く遠い彼方の展望ではなく、自己矛盾のない、永遠・究極の≪真実在の構造≫であって、これはいわば≪無時間的≫に、混乱した感覚の世界と共存する。この混乱した感覚の世界は、永遠・究極の≪真実在の構 »続きを読む

ジュディス・バトラー
『ジェンダー・トラブル』

1999、青土社、初、カバー、帯、四六版、296P、竹村和子訳
00円 (在庫なし)

権力はいかに言説のかたちをとって身体・精神・欲望を形成するか。バトラーの代表作。 「ジェンダーの意味にまつわる現代のフェミニズムの議論は、たいていの場合、何らかのトラブルの感覚に行きついてしまう。ジェンダーの意味をひとつに決定できないことが、まるでフェミニズムの失敗だと言わんばかりである。だがトラブルを否定的ニュアンスだけで考える必要はないだろう。子供のころの言葉の感覚では、トラブルを起こすことはやってはならないことだった。そうすれば、トラブルを起こした人がトラブルの状態に陥ってしまうからである。反抗したら叱られるというのも、同じ構図で考えていたように思う。こうしたことを知 »続きを読む

蓮實重彦
『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』

1978、朝日出版社、カバー、帯
00円 (在庫なし)

フランスの代表的な哲学者三名を取り上げながら、彼らを語るとはどういうことなのか、さまざまな問いを投げかける批評。 「・・・あのフーコー、あのドゥルーズ、あのデリダとして誰もが知っている人称性の濃い三人の個人は、・・・それぞれ≪哲学者≫と呼びうる存在である。だが、それをめぐって語られる三つの挿話からなる『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』は≪哲学書≫にふさわしい相貌などいささかもそなえていない。それは、このとりあえずの著者とみなしうる人間にいわゆる≪哲学≫的教養が欠けていたという理由もあろう。だが、それ以上に、この≪三つの物語≫が決して≪哲学≫の物語として語られていないという理由 »続きを読む

西成彦
『森のゲリラ 宮澤賢治』

1997、岩波書店、カバー、帯、菊判変形、190P
1,500円

宮澤賢治の作品をクレオール的な視点から読み直し、童話がもつ政治性を照らし出す。 「童話が語る歴史は、時代を縦断、空間を横断し、個体を束に変え、すべてを匿名性で語る形式を重んじます。今日の歴史学はようやく固有名から自由になろうとしていますし、国境や地域の枠からもしだいに自由になりかけていますが、なかなか難しいのが、時代を縦断すること―これだけは現行の歴史学にとっては曲者以上のものです。 私が≪童話学≫にがんばってもらいたいと思うのは、この歴史学の弱点をぜひ≪童話学≫に補ってもらいたいと思うからです。・・・」

スーザン・バック=モース
『テロルを考える:イスラム主義と批判理論』

2005、みすず書房、初、カバー、帯、四六版、183P

1,500円

西洋の政治的規範のヘゲモニーに異議を唱える批判的言説としての≪イスラム主義≫について論じた書。 「研究休暇の大部分のあいだ、わたしはイスラムという共通言語で表現された、本書では≪イスラム主義≫と呼んでいる言説領域の、さまざまな政治言説について読みふけった。研究者や書き手によって、解釈や評価はさまざまだが、彼らはいずれも一致して、この政治言説を、いわゆる第三世界の数百万ものムスリムが経験してきた≪近代≫にたいする、辛い、しかしやむにやまれぬ批判であるとみている。おそらくなによりこの経験の共有性のゆえに、多様で広大な現代イスラム政治を、ひとつの言説領域とみなしてかまわないだろう »続きを読む