人文科学

福永武彦
『告別』

1962年、講談社、初、カバー、帯(背少焼け)、四六版

00円 (在庫なし)

「僕が向うにいた時に、放送局が持っている交響楽団の定期公演で、マーラーの『大地の歌』を聴いたことがある。・・・僕は大して期待をもって行ったわけじゃない。・・・しかし曲が始まると、第一楽章の最初のモチーフが既に告別への予感を奏でていた。それが奇妙に僕の心に突きささった。これは西欧の人間の単なるエクゾチックな共感といったものじゃなかった。ヘッセの『シッダルータ』なんかとも共通するもので、作者自身が彼の東洋を内部に持っていることを証明するものだ。第一楽章は『大地の悲哀を歌う酒の歌』だ。大地と普通は訳すけれど、あれはつまり現世ということだ。現世に於て、酒に酔い一時の夢を貪り、生きる »続きを読む

スチュアート・ヒューズ
『ふさがれた道:失意の時代のフランス社会思想 1930-1960』

1979年、みすず書房、カバー、天と地に少経年やけ、菊判、203P
1,000円

「・・・≪ふさがれた道≫というモチーフ、行き止りの小路と閉された見通し、よろめきと手詰り、ますます絶望的となる脱出口の模索というモチーフは、第一次世界大戦の勃発に続く半世紀近くを通じて、あらゆるタイプ、あらゆる知的関心のフランス人の思考に滲みわたっているのである。それは、あたかもアラン=フルニエが、幸いかれより恵まれてあの恐るべき一九一四年という年を生きのびた同時代人たちに終生つきまとった想念、漠然たる恐れのまつわりついた、出口の定かでない暗いトンネルのような世界という感じを、大戦の1年も前に予言していたかのごとくであった。 ・・・一九三〇年から一九六〇年代初めにいたる時代 »続きを読む

ルース・ベネディクト
『文化の型』

1973、社会思想社、初、カバー、帯(背焼け)、四六版、本体天少経年シミ、443P、米山利直訳
2,000円

「・・・社会を考察する際、現代において最大の課題となるのは、文化の相対性を正確に把握することである。社会学の領域、心理学の領域においても、このことの持つ意味こそ基本的なことである。そして諸民族の接触や、西欧文明の変化してゆく規準に対して現代的考察を行うのに大いに必要なのは理性的で科学的な方向づけなのである。・・・文化の相対性を認めることは、そのこと自身に価値があるのであって、その価値が、絶対主義者の哲学のそれである必要はない。それは常識となっている考え方に挑戦することであり、その中で育った人びとには激しい不快感を抱かせる。しかしそれが悲観論をひきおこすのは、伝統的な公式を混 »続きを読む

ワルター・ベンヤミン
『複製技術時代の芸術作品』

1965、新潮社、初、カバー、本体少時代焼け、菊判、252P、野村修訳
2,000円

ベンヤミンの芸術論(目次:歴史哲学テーゼ、パリー十九世紀の首都、フランツ・カフカー没後十周年を迎えて、など) 「歴史の広大な時空間のなかでは、人間の集団の存在様式が総体的に変化するにつれて、人間の知覚の在りかたも変わる。人間の知覚が組織されている在りかた―知覚を生じさせるメディア―は、自然の諸条件に制約されているだけでなく、歴史の諸条件にも制約されている。・・・知覚のメディアの変化に現に立ち会っているぼくらは、この変化がアウラの凋落として把握されるとき、この凋落の社会的条件を示すことができる。いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、 »続きを読む

R・N・ベラー
『日本近代化と宗教倫理:日本近世宗教論』

1962、未来社、初、函(背焼け)、本体アンダーライン少あり、日付け書き込みあり、菊判、354P、堀一郎・池田昭訳、丸山眞男による論考ベラー『徳川時代の宗教』について収録。
1,000円

ウエーバー宗教社会学の日本への応用の書。 「仏教や儒教以外の宗教を研究したり、また、その宗教が、それを信奉している国民にどんな意味をもっていたかを研究することは、非常に興味あることであり、宗教と、宗教が人間生活においてしめている位置の理解を広めることになる。日本の場合はとくに興味がある。非西欧諸国のなかで日本だけが、近代産業国家として自らを変革するために、西欧文化から必要とするものをまったく急速に摂取することができたのである。・・・宗教と近代西欧社会の関係、とくに近代の経済の関係について、マックス・ウェーバーの偉大な著作に影響された社会学者は、当然、日本の場合にも宗教的要素 »続きを読む