≪近代意識≫の成長という観点から徳川思想史を叙述した丸山眞男の代表作。 「維新の身分的拘束の排除によって新たに秩序に対する主体的自由を確保するかに見えた人間は、やがて再び巨大なる国家の中に呑み尽され様とする。≪作為≫の論理が長い忍苦の旅を終って、いま己の青春を謳歌しようとしたとき、早くもその行手には荊棘の道が待ち構えてゐた。それは我が国に於て凡そ≪近代的なるもの≫が等しく辿らねばならぬ運命であった。徳川時代の思想史が決して全封建的ではなかったとすれば、それと逆に、明治時代は全市民的=近代的な瞬間を一時も持たなかったのである。・・・・ライト・モチーフになっているのは封建社会に »続きを読む
人文科学
1952、東京大学出版会、初、カバー(背焼け痛み)、本体時代焼け、菊判、363P
『ソシュールの思想』
1981、岩波書店、初、函、A5版、352P
00円 (在庫なし)
日本におけるソシュール研究の礎となった古典的労作。 「その出発点からいわば螺旋上の上向・下向運動を繰り返した思想の発展過程には、一貫して≪認識主体と認識対象のいずれに優位性をおくか≫という古くて新しい哲学上の二律背反たる主観―客観の対立を、コトバの本質への照射を通して乗り越えてゆくことが目指されていた。彼のシーニュ理論の根底をなす≪差異≫の原理は、主知主義と経験主義をともに批判し止揚する基盤となり、これによって人間と世界の≪意味づけ、意味づけられる相互性≫という弁証法的認識に到達したと言えるだろう。まさにソシュールは、”最初の哲学的行為は、客観的世界の手前にある »続きを読む
『トラウマの医療人類学』
2005年、みすず書房、初、カバー、帯、四六版、375P
00円 (在庫なし)
「戦争や経済搾取、差別、環境破壊など、世界はさまざまな<悲惨な経験>で満ちあふれてきた。それらの<悲惨な経験>から学び、二十一世紀を明るく平和なものにしていくこは可能なのであろうか?忘却されるから<悲惨な経験>は繰り返されるのか・それとも<悲惨な経験>は新たな<悲惨な経験>を呼び込んでしまうのか?<悲惨な経験>を生み出す人と、被害を被る人とはどうつながっているのか?公の場の暴力と私的な暴力との関係は?上記のような問いを、トラウマ(心的外傷)という概念を中心に、学際的に考えていきたい。・・」
『藝術と狂気』
1950、みすず書房、初、帯(背少焼け)、数か所箇所書き込みあり、B6版、165P
1,500円
精神医学者から見た藝術と狂気。 「・・・天才と性格異常との関係は、如何なるものであろうか。この問題は個々の実例の詳細なる観察によって初めて解決できることで、すべての場合にあてはまるような原則はあり得ないであろうが、ただ一般的に云い得ることは、天才も性格異常者も敏感、不安、緊張、矛盾と分裂、衝動性等不安定な平衡を失い易い共通の傾向を持って居り、これが天賦の才能と結びつくことによって、この不安定な傾向を制御しこれを作品にまで結晶せしめ得た際に、初めて天才的な業績が生れるのであろうということである。しかしこのような不安定な性格はそれが反社会的な行動に爆発する場合も多いのであって、 »続きを読む
『経験と思想』
1977、岩波書店、初、B6版、207P
1,000円
1970年代に国際基督教大学で行った講義の草稿をもとにしたもので、人間が個人として社会を構成し生きている事実を、≪経験≫が成熟して≪思想≫に到る一つの実存的過程として内側から捉えようとした試み。 「人間が≪人間として≫生きる態度をいかにして確立するか、という問題の、私自身の、また私なりの探究である。・・・経験と思想とは言いがたいもの、語りがたいもの、しかもそれでいて、我々の個人性と普遍性とが繞って現れて来る根源だと思う。・・・私は本当の経験と思想とは、学校教育とは全く逆に、人生の終りになって、一箇の人間が成熟をとげた時に始めて明らかになるものである、と思っている。経験は一箇 »続きを読む
