人文科学

ル・コルビュジェ
『建築をめざして』

1967、鹿島研究所出版会、初、函(イタミ)、四六版、212P、吉阪隆正訳
1,000円

ル・コルビュジェによる近代建築のバイブル。 「時代の当面している課題を扱うのだ。それ以上のことなのだ。時代の当面している中心課題だ。社会の均衡は建築の問題だ。次の二律背反的なしかし弁護可能なものを結論としよう。≪建築か、革命か≫と。 “住宅は住むため機械”今なおこの宣言はある意味で価値をもっていて、なお啓蒙的役割を与えられるだけのことがある。・・・経済や能率、科学や技術は彼の指摘するようにその後も猛烈な進展を見せた。一方人間の生活はますます置いてきぼりを食わせている。この調和を求める闘いは彼の唱える美的感動の域まで持ち上げられねばならない。・・・・古 »続きを読む

子安宣邦
『≪宣長問題≫とは何か』

1995、青土社、初、カバー、帯、小口に少しみ、四六版、249P
1,000円

著者が10年来行ってきた江戸思想への新たな方法的視点の構築をめぐる問題提起。 「・・・≪宣長問題≫とは、あえて簡潔にいってしまえば、ほかならぬ近代日本において自己(日本)言及的言説として強力に、たえず再生する宣長の国学的言説の問題である。・・・≪日本≫の自己同一性にかかわる形で日本人が自らに言及するとき、そこには常に宣長がいる。宣長の国学的言説は、≪日本≫の自己同一性にかかわってなされる日本人の自己言及的な言説としてたえず近代日本に再生する。宣長の畢生の大業として称賛される『古事記伝』とは、古事記注釈を通して≪日本≫という内部、あるいは≪日本人≫という同一性を形成する作業で »続きを読む

エドワード・W・サイード
『音楽のエラボレーション』

1995、みすず書房、初、カバー、帯、四六版、196P、大橋洋一訳
1,500円

音楽という芸術をその取り囲む社会・公共的な状況の中で論ずる。 「・・・音楽の練成(エラボレーション)というものを、最後の仕上げという以外の理由からも、もう一度ふりかえって考えることができるということだ。音楽の練成の本質は、変容をもたらし、内省的かつ反射的なものになりうる。音楽の成熟(エラボレーション)は、ゆっくりと生起する。それはなにも、わたしたちが反復を肯定しまた肯定しなおして、ゆっくりと道草をくいながらすすむということだけでなく、それが同じプロセスを、同じ道を、なんどもいったりきたりするからである。・・・シュトラウスの音楽は、根源的に、またじつにみごとなかたちで、練成的 »続きを読む

マーティン・ジェイ
『アドルノ』

1987、岩波書店、初、カバー(背少やけ)
1,000円

フランクフルト学派研究の第一人者によるアドルノ論。 「今やわれわれの前に現われ出たアドルノの知的経歴の≪力の場≫は、こうして西欧マルクス主義の生産的エネルギー、芸術的モダニズム、マンダリン的な文化的絶望、ユダヤ人としての自己同定、そしてさらに、脱構築主義のどちらかといえば先取り的な引力、とを含んでいることになろう。たしかにアドルノが、時によってまた気分によって、この五つの力のいずれかにより強く引きつけられるということはあったであろうが、彼の仕事の全体は、これらの力のすべてのあいだの不安定な緊張関係を見るとき、もっともうまくとらえられることになろう。・・・したがって、アドルノ »続きを読む

ガヤトリ・C・スピヴァク
『サバルタンは語ることができるか』

1998、みすず書房、初、カバー、帯、上村忠男訳、四六版、145P
2,000円

従属的地位にあるサバルタンの女性について語ることの可能性を論じた現代思想の傑作とされるスピヴァクの代表的な著書。 「この論文では、ことがらの性質からして必然的に迂回路をとって、まずは西洋において主体を問題化しようとしてなされているさまざまな努力についての一つの批判から始め、つぎに第三世界の主体が西洋の言説のなかでどのように表象されているかという問いへ進んでいくことになる。その過程で、主体のさらにいっそうラディカルな脱中心化にむけての可能性は、実際にはマルクスとデリダのうちに潜在しているのだということを示唆する機会をもつことになるだろう。また、ことによると驚かれる向きもあるか »続きを読む