人文科学

エドワード・W・サイード
『イスラム報道:ニュースはいかにつくられるか』

1986、みすず書房、初、カバー(少焼け)、四六版、220P、浅井信雄・佐藤成文訳
1,000円

イスラム報道にみられる負の表象に≪オリエンタリズム≫としての知と権力の構造を見るサイードによる問題提起の書。 「オスカー・ワイルドは、冷笑家について、あらゆるものの値段を知っているのに価値を知らない人と、定義しているが、私もそう思われないように、最後に付け加えておくべきことがある。私も知識の豊かな専門家の意見の必要性を認めること、大国としてのアメリカは外部世界に対して中小国家とは異なる態度や政策をもつこと、目下の憂慮すべき状況がよくなる望みは大いにあること、である。にもかかわらず、多くの専門家、政策立案者、一般の知識人ほどには、私は≪イスラム≫の概念を強くは信用しない。反対 »続きを読む

スーザン・ソンタグ
『写真論』

1979、晶文社、初、カバー、帯、四六版、221P、近藤耕一訳
1,500円

≪現実と想像力の交差≫としてのソンタグによる写真論。 「写真の眼が洞窟としての私たちの世界における幽閉の境界を変えている。写真は私たちに新しい視覚記号を教えることによって、なにを見たらよいのか、なにを目撃する権利があるかについての観念を変えたり、拡げたりしている。写真はひとつの文法であり、さらに大事なことは、見ることの倫理であるということだ。そして最後に、写真の企図のもっとも雄大な成果は、私たちが全世界を映像のアンソロジーとして頭の中に入れられるという感覚をもつようになったということである。」

スーザン・ソンタグ
『反解釈』

1963、竹内書店、初、カバー、帯(少痛み)、高橋康也ほか訳
00円 (在庫なし)

「芸術作品はいくつかに分類しうる内容からできているというきわめて疑わしい理論の上に、解釈は成立しているが、これは芸術を冒涜するものだ。それは芸術を一種の実用品と化し、頭のなかにできあがっている範疇に分類しようとするものだ。・・・批評の機能は、作品がいかにしてそのもであるかを、いや作品がまさにそのものであることを、明らかにすることであって、作品が何を意味しているかを示すことではない。解釈学の代わりに、われわれは芸術の官能美学を必要としている。」

関根弘
『ルポルタージュ日本の証言⑥:鉄:オモチャの世界』

1955、柏林書房、カバー[少汚れ・ムレ]、新書版、96ページ、本体少しみ、初挿絵:池田竜雄
3,000円

子供たちの夢、オモチャのうしろにある怪物、鉄のオモチャに関するルポルタージュ。 「・・・昨年、比喩についての論争にまきこまれていらい、私はあらためて記録について考え、記録の芸術性をどうしても追及しなければならなくなったが、その結果として現代の寓話を発見したのである。オモチャは単なる現実の反映であるが、オモチャをみた目で、現実をみなおすとき、現実はオモチャのようにみえてくる。つまり、これが比喩、あるいは象徴の段階であるが、一歩進めた私たちの認識は現実をオモチャとして捉えることができなければならない。ここに分析の過程があり、最後の綜合においてオモチャと現実の境界はまったく取去ら »続きを読む

庄野潤三
『プールサイド小景』

1955、みすず書房、 初、カバー、帯、 芥川賞
佐々木基一宛署名

10万円

「”何という、うっかりしたことだろう。いったい、自分たち夫婦は、十五年も一緒に暮していて、その間に何を話し合っていたのだろうか?” 快活な課長代理夫人の目には、夫の生活や心情が見えなかっただけでなく、自分の過してきた時間、自分の毎日さえも見えていなかった。その夫が会社の金を使いこんでクビになるということでとつぜん時間の運行が停止してみて、はじめて今自分は何をしているのだろうかと不安になる。 一方夫は、朝早く会社に出た時、誰もいない事務所の椅子の背に、そこに坐る人間から滲み出た油のようなしみを見る。また仕事中に便所へ行く時、白 »続きを読む