人文科学

高階秀爾
『ピカソ:剽窃の論理』

1964年、筑摩書房、函(少汚れ))
1,000円

「“目の下に新しいものなし”とは、遠い昔から伝えられて来た人類の智慧である。すべてを歴史の流れの中において見る時、どんなに突飛と思われる事象も、綿密にはりめぐらされた運命の網目の中に捉えられ、“歴史的必然”の中に解消させられてしまう。芸術作品といえども、無論例外ではない。どのように独創的作品でも、どんなに“異端”の芸術家でも、必ずそのよって来るべき過去を持っており、与えられた条件の中でのみそうあり得たような歴史的側面を持っている。・・・しかしながら他方、別の見地に立って見れば、独創性こそは、どのようなかたちをとってあらわれるにもせよ、それなくしては芸術作品の存立そのものの根 »続きを読む

鶴見俊輔
『大衆藝術』

1954、河出書房、本体経年少シミ、帯、新書版、174P
1,000円

我々に身近な藝術を通し大衆の中に生き続ける生活の思想を求めた清新な労作。「現代の思想家は、ほとんどみな、時代にとりのこされつつあるのでないか。現代の思想家は、現代の大衆の思想問題ととりくむために必要な訓練を、欠いているのではないか。・・・今世紀の変化に対応して、思想家もまた、自己の武装を新しくしなければならない。そうでなければ、やがては大衆と縁なきものになってしまう。いや既に、そうなりつつあるではないか。・・・最初の課題にもどって考えてみると、今日の文筆業者たる我々は、コミュニケーション史上の過渡期に立っているわけである。我々は、この過渡期に殉じるだけの勇気と冒険心を持つべ »続きを読む

『トインビー:人と史観』

社会思想研究会編、1957年、初、函、238P
1,500円

1956年秋、国際文化会館の招聘で来日した『歴史の研究』で名高いアーノルド・トインビー氏の謦咳に接した日本の識者によるトインビー論。(執筆者に、江口朴郎、深瀬基寛、貝塚茂樹、山本新ほか) 「・・・私がトインビー博士の人柄のうちに感ずるもう一つの統一、それはストイシズム(禁欲主義)とエピキュアニズム(快楽主義)との調和である。ここで私のいうストイシズムとエピキュアニズムとは、ヘレニズム文化の二大学派であったゼノンとエピクロスの学派をいうのである。そして、ジャイロスコープとレーダーの二つの機械では、より基本的にはジャイロスコープに博士が依存していたのと同様、この二人の古代の哲人 »続きを読む

東野芳明
『グロッタの画家』

1957、美術出版社、初、カバー(痛み、補修あり)、菊判、178P、荒正人宛て署名入り
00円 (在庫なし)

「・・・“グロッタ”といっても、けっして、クルった言葉ではない。Grottaは、洞窟を意味する語で、“怪奇な”“異様な”という意味の“グロテスク”という言葉の語源になった言葉である。 ところで、事物が素直に人間の命名式にたちあい、その手のなかでおとなしくしている間は(じつは、そんな振りをしているだけなのだが)、人間は世界に安住し、ある様式、ある秩序形態の上に、すべてが和合している社会が保たれる。しかし、事物と人間の関係が険悪になり、事物がおとなしい飼猫から、一キョに獰猛な野獣に化し、いままで隠していた牙をむき出して人間にせまってくると、もうそれまでの言葉という網は、なんの役 »続きを読む

鶴見俊輔
『戦時期日本の精神史―1931~1945年―』

1982、岩波書店、初、函、帯、294P
1,000円

1931年から1945年までの時代を、転向、国体、大アジア、日本の中の朝鮮、非スターリン化、玉砕の思想、原爆の犠牲者、戦争の終り、などの観点から論じるた、カナダのマッギル大学で行った講義の記録。 「・・・日本は、米国やソビエト・ロシアのような超大国にくらべることのできない小さな軍備をもち、軍事的な強制手段に頼ることなくほかの国々との貿易を求めていかなければなりません。この見通しは、かつて戦時下に鎖国状態が用いられた仕方で、軍国としての団結と膨張への道をとることを妨げます。日本に在留する朝鮮人の集団、戦争によって本土の人たちとくらべようもないほどに手痛く打撃を受けた沖縄の住民 »続きを読む